悠 久 未 満



※原作完結前に書いたので設定に相違があります。





「アルフォンスくんを束縛するの、やめて下さい」

 きっぱり、と初対面の少女は告げた。その言葉にぽかんとする。一体彼女は何を言っているのだろう、と真剣に思った。
「アルフォンスくんは優しいから何も言わないけど、ものすごく迷惑してます。いくら兄弟だからって、あなたに彼を束縛する権利なんてないはずです」
 いかにも自信満々に告げられる台詞は、理解できる。理解できるが、意味不明だった。
 あっけにとられて彼女を見つめると、少女は尚も言葉を続けた。
「二人きりの家族でも、あなたと彼は別人なんです。彼は彼の人生を歩むべきなんです。だからアルフォンスくんの未来まで壊さないで」
 その言葉一つ一つに、力が籠もっている。眼差しは真剣そのものだ。
 冷静に見れば、目の前に存在するのはまず美少女、と言って良いだろう。いかにも強気そうな目をしている。色は透き通ったブラウン。長めの髪は金色で、くるくるとした巻き毛になっている。
 好みの差はあるだろうが、美しい、と誰もが認める容貌だ。ただし、今現在のエドワードにとって印象は最悪だったが。
(なんだ、この女?)
 正真正銘初対面の相手に対して、いきなりこれだけのことを言う人間も珍しい。呆然としたあと、憮然としたが感心もした。
「それじゃ、くれぐれも今後は彼に迷惑かけないで下さいね。それじゃ、失礼します」
 最後まで彼女は言いたい放題だった。言うだけ言って、くるりと踵を返すと、さっさと歩き出す。なかなか思考がついていかず、そんな少女の後ろ姿をただ見つめた。
(なんなんだよ、一体……?)
 アルフォンス、というのは無論、自分の弟のことだろう。それ以外考えられない。
(もしかしてアルの彼女とかなのか?)
 だとしたら嫌だな、と思った。
 アルフォンスは昔から彼女が欲しい、と言っていたし、今の彼ならば、望めばいくらでも作れるだろう。
 二年ほど前、アルフォンスは今の姿を手に入れた。正確には、元の姿に戻った。
 最初は見ている方が心配になるほどの痩躯だったが、今はその名残はまるで見あたらない。どこから見ても健康体の上、身長もすくすくと伸びた。――あまりにも嬉しくない事実だが、今ではアルフォンスがエドワードを見下ろすの当たり前となるほどに。
 今の彼を見て、かつての『アルフォンス・エルリック』が鎧姿をしていた、とは誰も想像つかないだろう。
 そうして彼は、当たり前の日常を手に入れた。
 最初はリゼンブールでゆっくりと過ごしていたが、二人で相談してセントラルシティで生活することに決めた。旅の間に何を思ったのか、アルフォンスが医者になりたい、と言ったのが大きな理由の一つだ。独学でも出来の良い弟だから医者になれるだろうが、学校に行った方が良い、とエドワードも思ったし、アルフォンスも頷いた。
 そうして、優良そうな学校を探した結果、セントラルシティに行き着いた。大都市に学校が多いのは当然だから道理だろう。
 アルフォンスは入学試験も大変優秀な――早い話、主席だったと聞いている――成績でパスし、晴れて彼は学生の身分となった。
 エドワードは、といえば、一応今も国家錬金術師だ。大きめの家を借り、いくつかの部屋は研究室として使用している。
 アルフォンスは人間の姿に戻れたものの、エドワードの手足は機械鎧のままだ。アルフォンスはそのことをとても気にしている。けれど、エドワードはもう賢者の石に頼る気などなかった。アルフォンスが元に戻れたのならばそれで十分だ。もう、旅を続ける必要はなかった。
 本来ならば、国家錬金術師である必要もない。実際、やめるつもりだった。けれど、軍上層部が入れ替わった現在、一般市民はともかく軍内部は非常に不安定であるらしい。そんな中、優秀な国家錬金術師の存在は当然重要となってくる。
 恩義も多少はあったし、そんなこんなで結局、国家錬金術師をもう少し続けることになった。
 もっとも、正式な軍人ではないエドワードにとって、現在の生活は平和そのものだ。研究も好き勝手にしている。このまま、穏やかな国にきっとなるのだろう、とエドワードは思う。無論、それは自分の楽観的で、そして切実な予測であるにすぎないが。
 ともかく、今現在、エドワードとアルフォンスはセントラルシティでそこそこ平和な生活を満喫している。今日もいつも通りアルフォンスは学校へと向かい、エドワードは研究室に籠もっていた。
 ――そうして、先ほどの少女がやってきたのだった。 チャイムが鳴っていることに気付くのには、きっと時間がかかっただろう。エドワードは書物を読んでいて、しかも入り込んでいた。そういう時の自分は音を聞く、ということを忘れてしまう。
 それであるにも関わらず気付くほど、彼女はチャイムを鳴らしていたに違いない。ようやく気付いて玄関へと向かう間も、切れ間なくチャイムは鳴り続けていた。
 そうして扉を開くと少女が居た。
 ――――あなたが、エドワード?
 開口一番の台詞はそれだった。一体何事だ、とエドワードが思うのも無理はないだろう。そうだけど、ととりあえず頷くと、彼女は言ったのだ。エドワードを睨みながら。
 アルフォンスくんを束縛するの、やめて下さい、と。
(なんだそりゃ)
 そう、エドワードは思う。確かに、自分とアルフォンスは二人だけの兄弟で、仲はかなり良い方だ、という自覚もある。けれど、束縛した覚えなどなかった。
(そうだよな。束縛なんか、オレしてねぇよな?)
 基本的に、エドワード自身が束縛を嫌う性格だ。だから、アルフォンスに対しても束縛するはずがない。
(けど、待てよ)
 今でも時々、仕事絡みでエドワードは旅に出ることがある。タイミング良く、学校が休み期間ならばアルフォンスが一緒に行くこともあった。けれど無論、基本的には一人旅だ。アルフォンスは実に残念そうに『ボクも行きたかったな』と言うが、学生なのだから学校が優先に決まっている。
 だが、思い出してみればエドワードが旅に出ている時以外、アルフォンスと必ず一緒に夕食を取っている、という事実に思い当たった。
 ウィンリィとたまに逢い、食事を一緒にすることはあるが、それは当然三人だったし、イズミの元に訪問するときも当然彼も一緒だ。
 エドワードの友人知人は即ちアルフォンスにとっても友人という人間ばかりだ。友人と言うには微妙な軍部の人間も、有る程度の軽口を交わせる相手ならばやはり同じだった。つまり、エドワードの知り合いはほぼアルフォンスにとっても知り合い、というのが現状だった。
 そのこと自体に、不思議も不満も感じない。自分とアルフォンスは年齢が近かったし、それこそずっと一緒に旅をしていたのだから、誰かと知り合うタイミングも一緒だった。親しくなるのも然りだ。なにも不思議なことはなかった。
 そうして現在、エドワードは家に籠もりがちだから新たな知人は増えない。近所の人間と面識が増えた程度だが、これは当然ながらアルフォンスにも当てはまる。
 一方で、アルフォンスは学校に通うようになったから当然友人も多くできた様子だ。夕食時、あれこれと学校でのできごとを聞くのは日課と言って良い。勉強を含め、毎日が楽しい、とアルフォンスは言う。そんな彼の話を聞くのを、エドワードも楽しみにしていた。けれど。
 何故、今まで不思議に思わなかったのだろう。そんなにも友人が多くできたというのに、アルフォンスは必ず、夕食を自分と供にしている。普通ならば、それこそ友人達と食事に行こう、という話に一度や二度はなるはずだ。それなのに。
 兄弟での夕食は確かに日課だ。強制したつもりもない。だが、もしかしたらアルフォンスは自分に気を遣っていた可能性もある。
 先ほどの少女も言っていたとおり、アルフォンスは優しい。とても、優しい。それは昔からそうだった。エドワードのせいで鎧姿になったときさえ、彼は恨みの言葉を口にしなかった。
 そんな弟のことだから、エドワードが夜、一人で食事を取ることを不憫に感じたのかもしれない。または、心配している可能性もある。昼食はアルフォンスが学校に行っている平日の場合、当然一人で食べるわけだが、場合によっては忘れてしまうこともある。夜も一人ならば、そうなる可能性は高かった。
(……)
 もしかしたら本当に、自分はアルフォンスを結果的に束縛していたのかも知れない。その可能性を、考えれば考えるほど、否定できなくなってくる。
 ――――いくら兄弟だからって、あなたに彼を束縛する権利なんてないはずです。
 少女の言葉を思い出す。もしも自分が本当に彼を束縛していたとしたら、その言葉は正しい。否定などできるはずがなかった。
 ずっとずっと、一緒に過ごしてきた弟。誰よりも近くにいた存在。それが当たり前だと、確かに自分はそう思っていた。
 けれど、もうアルフォンスも十七歳だ。世間的に考えれば、それこそ恋人がいてもおかしくない。
 先ほどの少女などは間違いなく、アルフォンスに好意を抱いている様子だ。そうして、見るに見かねて自分を訪ねてきた、というところだろうか。 
 ――――二人きりの家族でも、あなたと彼は別人なんです。彼は彼の人生を歩むべきなんです。
 言われた当初はただ呆然とし、理解できなかった台詞。けれど今は、確かにその通りだ、と思う。自分と彼は家族だ。それは一生、変わらない。
 けれど、アルフォンスと自分は別の人間で、いずれそれぞれの人生を歩むことになるのだろう。それが自然の摂理というものだ。
 以前、アルフォンスは彼女が欲しい、と繰り返し言っていた。実際、いずれ彼女はできるだろう。もしかしたら、すでにいるのかもしれない。
 そうして結婚し、彼は彼のための家族を持つようになる。それはとても当たり前で、ありふれた、そしてかけがえのない幸福の姿だ。 
 ――――アルフォンスくんの未来まで壊さないで。
 壊す気なんてない。あるはずがない。彼の一番の幸福を願っているのは自分のはずだ。
 だが、そう思っている自分の存在こそが、彼のそんなありふれた幸福を隔てさせているのだとしたら。
 ありえない、と思いたかった。先ほどまでのエドワードなら、言い切ってしまえただろう。けれど今は断言するだけの自信がない。先ほどの少女の言葉は、時間を経過した今こそ強大な威力を誇っていた。過去のことを思い出せば出すほど、彼女の言葉は正しいのかも知れない、という気がしてくる。今まではそんなことなど、少しも考えたことはなかったというのに。
(オレは)
 アルフォンスの幸福の邪魔をしているのだろうか。彼の幸福な未来を、壊しているのだろうか。
 考えれば考えるほど、答えは出ない。ただ、不安が増すばかりだった。

◇■◇

「ただいま。帰るの遅くなってごめん。今から、急いで夕食作るね」
「……夕飯はオレが作っておいた」
 やがて数時間後、アルフォンスが帰ってきた。いかにも急いで帰ってきました、と言わんばかりに息を切らしている。
「え、どうしたの兄さん?」
 朝食と夕食は当番制だ。ただし、エドワードはどうしても読書や研究に夢中になると周囲の音が聞こえない上に時間の流れの感覚も完全になくなる。その為、半々のはずがアルフォンスの方が家事を行っている比率は高かった。
 そうして今日は、と言えばアルフォンスが当番の日で、いつもならエドワードが気を利かせて作る、ということはまずない。だからだろう。アルフォンスはひどく驚いた様子でエドワードを見つめた。
「どうもしねぇっての。ただちょっと、気が向いただけだ」
 どうにか笑ってみたが、明らかにアルフォンスは疑っていた。それはそうだろう、とエドワードも思う。
 自分らしくない行動なのは分かっている。分かっていたが、何かをして気を紛らわしでもしないと、思考は暗黒世界を深く突き進むだけで浮上などできそうになかった。
 そんなわけで非常に珍しく、自分の当番日でもないのに夕食を作る気になったのだった。
「ちょっと、ね」
 尚も疑わしそうな顔つきをしつつ、鍋を覗いてくる。中身はシチューだった。エドワードが作る場合、かなりの確率で出されるメニューでもある。
「とっとと食おうぜ。腹減った」
「そうだね、ごめん」
 実際は空腹など少しも感じなかった。だが、ここで何も食べなければアルフォンスが何かあったのかと心配するだろう。――すでに遅いような気もするが、その可能性についてはあえて考えないでおく。
「今日は学校が忙しかったのか?」
「うん、ちょっとね。今は試験前だから、みんなすごく勉強してるよ」
 つまりどうやら、友人達に勉強を教えていたらしい。面倒見の良いアルフォンスらしいな、と思った。
 だが、それでもアルフォンスは自分と夕食をとるために帰ってくる。確かにいつもより少しばかり遅いが、それでも十分に『夕飯時』と言えるに、だ。
「……あのな、アル。別に、友達と一緒に夕飯食ってきても良いんだぞ?」 
「兄さん?」
「お前も友達づきあいとかあるだろうしさ。色々話すことあって当然だしな。まぁ、遅くなるなら連絡ぐらいは寄越せと思うけどな」
 アルフォンスの顔を見ず、皿にシチューを盛りつけるとテーブルへと置いた。
「だから、無理して毎日オレと夕食を取る必要なんてないんだぞ?」
「兄さん、それ本気で言ってるの?」
 聞こえた声は、それはそれは低かった。間違いなく怒っているそれだった。以前は可愛らしい、とすら言える高い声だったのが嘘のようだ。
「本気に決まってんだろ。これからは、その、……お前も彼女とかできんだろうし、そしたらやっぱり帰宅時間も自然に遅くなってくだろうけどさ」
「兄さん、なにかあった?」
 先ほどの怒った声はなりを潜め、変わりに心配した声音になった。更に言うなら、表情も真剣だった。真剣に心配している。心配させるようなことを言ったつもりはないのだが、と思いつつ、先ほどと同じ言葉を繰り返した。
「どうもしねぇって」
「嘘だ。兄さんがそんなこと言うの、絶対に変だよ」
 断言されてむっとする。確かに、先ほどの少女が現れなかったらきっと自分は何も気付かず、毎日当たり前にアルフォンスと夕食をとっていただろう。
 それは確かに事実で、つまり事実だからこそ余計にむっとした。
「誰かに何か、言われた?」
 どうしてこう、この弟はこんなにも鋭いのだろうか。だが図星です、と認めるのは悔しい。
 だが、黙り込んでしまえば認めたも同然だ。アルフォンスはやっぱり、とでも言いたげな表情でエドワードを見つめた。
「あのね、兄さん。ボクがこの時間に帰ってるのは無理してるわけじゃないよ。ボクが帰りたいから、帰ってきてるだけなんだ」
きっぱりと言い切るアルフォンスの瞳を見つめる。嘘をついているようには見えない。だが、弟は自分より嘘が上手いかも知れない。
「けど、友達づきあいはあんだろ」
「勿論、あるよ。あるけど、それは別に夕飯を食べることだけに限らないよ。みんなそれぞれ、彼女とかいるしね」
 その言葉に、それはそうかもしれない、と思った。或いはそう思いたかっただけかもしれない。
「お前にはいないのか?」
「え?」
「恋人。……お前、昔から女には人気あったし」
 幼い頃から、アルフォンスの方が女性の人気は高かった。当時はそれがとても不満だったが、それも当然だろうと今は思う。
 幼い頃は二人ともそれなりにやんちゃだった。けれど、アルフォンスは女の子に対しては昔から優しかったと記憶している。
 性格はかなり良い方だろう。だからこそ友人も多い。身長も低い方ではなく、そして今現在も伸びている様子だ。そして頭脳明晰。勿論、運動神経も抜群。未だに、組み手をすることがるが勝てた試しがない。
 改めて顔を見てみても、兄弟の欲目は除いてもそれなりに整っていると思う。柔和な、母に似た優しい顔。金の髪は自分より色素が薄く、柔らかな印象だ。 
 普通に考えて、そんな弟がもてないはずがない。とっくに彼女がいてもおかしくなかった。もしかして、自分が知らないだけで、――アルフォンスが言わないだけで、すでに彼女がいるのだろうか。
「恋人はいないなぁ」
 困った様子で告げられた台詞に、内心少しばかり安堵する。そんな自分に気付いて戸惑った。
(ここで安堵するのって変じゃねぇか?)
 何故弟に恋人はないと言われて安堵するのだろう。自分には恋人がいないからだろうか。
(うん、そうかもしんねぇな)
 なにしろ、今の生活ではエドワードに恋人ができる日は限りなく遠そうだった。そしてエドワード自身、特別恋人が欲しい、とは思わない。それよりも錬金術の研究のほうが余程興味があった。
(……なんか変だな)
 自分の思考に内心首を傾げる。自分には恋人がいないから、弟にも恋人がいないと知って安堵する。その一方で、自分は恋人を欲しいとは思っていない。
 どう考えても、つじつまがあっていなかった。ならば自分はどうして安堵したのだろう。
「けど、好きな人はいるよ」
 不意に紡がれた言葉に、何故だか衝撃を受けた。
(好きな人?)
 初耳だった。今まで、そんな話を聞いたことがない。だが、エドワードもこれまで、アルフォンスにそんな話題を持ちかけたことがなかったのだから当然と言えば当然だった。
「どんな奴なんだ?」
「うーん、我が強くて口が悪い、かな」
「……どこが良いんだ?」
 我が強くて口が悪い。聞けば聞くほど、恋人にはしたくないタイプではなかろうか。それなのに、アルフォンスはそんな少女が好みなのか。それは随分と趣味が悪いのではないだろうか。
「でもすごく、優しいよ」
「顔は良いのか?」
「うん、一般的に見て美人じゃないかな。本人はたぶん、少しもそんなことに気付いてないと思うけど。執着していないって言うか。でも、すごく綺麗だと思う」
 自分の見かけに頓着しない美人で、優しい。それは確かに、長所かもしれない。
 しかし普通、好意を持った相手を説明する場合、そういう長所から説明すべきではなかろうか。それとも、そんな長所よりも我の強さや口の悪さが目立つのだろうか。
 どんな相手なのだろう。その女は。アルフォンスに、エドワードの自慢の弟に相応しい女性だろうか。
 そんなことを思って、それからぼんやりと先ほどの少女の顔が浮かんだ。
 あの少女は間違いなく我が強い。それは告げられた台詞で良く分かる。そして口が悪いのも確かだ。優しいかどうかは知らないが、確かに美人ではあった。
(まさか)
 あの少女のことを、アルフォンスは好いているのだろうか。あの少女もまた、彼のことを好いているのは一目瞭然で、早い話二人は両思いなのだろうか。まさか。
 そんなことはないと思いたいが、アルフォンスの話を聞くととても偶然の一致には思えなかった。恐る恐る、口を開く。
「もしかして、その相手って長い金髪か?」
 尋ねると、驚いた様子でアルフォンスが目を見開いた。エドワードをじっと見つめる。
「うん。そうだけど」
 やがて頷かれ、暗澹とした気持ちになる。ではやはり、あの少女のことをアルフォンス好いているのか。
 そういえば、アルフォンスの初恋の相手だろうウィンリィも金髪だった。我が強い、というか気が強かった。口は特別悪くないが、ものごとははっきりというタイプだった。つまりアルフォンスは、しとやかなタイプには興味がない、ということだろう。
 アルフォンスの好みに対して、とやかく言う権利はない。ないが、やはりあの少女はどうだろう、という気がする。それとも、もっとじっくり話してみればエドワードも彼女の長所を、その容姿以外認めることができるだろうか。
「……それなら、多分お前、両思いだぜ。彼女、すげぇお前のこと心配してたしな」
 最愛の弟が恋を成就させたなら、それは喜ばしいことだ。やはり少しばかり切ないような、悔しいような、そんな気持ちにはなるけれど。
 だが、それでも自分は祝福するべきだろう。実際、それでアルフォンスが幸福になる、というのなら、とても喜ばしいことのはずだった。
 今までずっと一緒にいた。幼い頃から、本当にずっと。けれどそれは永遠ではない。悠久の時を、供にすることはできない。
「兄さん、なに言ってるの?」
 心底不思議そうにアルフォンスが尋ねる。彼は昼間に少女がこの家にやって来たことを知らないのだろうから当然だった。
「だからお前、好きな奴が居るんだろ?」
「それはいるけど」
「そいつが今日、この家に来たんだ」
 言うと、アルフォンスが目を細めた。表情は笑顔だ。だが、笑っていない、と錯覚する笑顔だった。そのことに違和感を覚えつつ、理由が分からず会話を続ける。
「……気が強そうで、金髪の美人が?」
「あぁ。お前のこと、本当に心配してたぜ」
「具体的にどんなこと、言ったのかな」
 そう尋ねられると非常に困る。いくら口が悪いことを知っていても、その内容をそのまま口にする気にはなれなかった。
 口ごもっていると、アルフォンスがやがてため息混じりに言った。先ほどの表情は消えている。
「あのね、兄さん。とりあえず言っておくけど、それは兄さんの勘違いだよ。今日、この家に来たのはボクが好きな人じゃない」
「お前、なんで断言できんだよ」
 あまりにもきっぱりと言い切られて面食らった。何故そこまではっきりと言い切れるのだろう。
「ボクの好きな人が兄さんに文句を言うことは絶対ない。ありえないって断言できるよ。今日家に来たって言うのは、多分、学校の子だと思うけど」
「心当たり、あんのか」
 エドワードの問いに、苦笑を浮かべてアルフォンスは頷いた。
「同じ授業を選択してる子で、すごく積極的な女の子がいるんだ。たぶん、彼女じゃないかな。彼女も長めの金髪だから」
「積極的って、どういう風にだ?」
「つきあって欲しいって言われたし、腕に胸元を押しつけてきたりするし、映画とか、食事にも良く誘われるよ」
 確かに、あの少女ならそれぞれいかにもしそうな気がした。その様子も想像できるような気がする。
「それで、アルは食事に誘われてなんで答えたんだ?」
「昼食は、みんなと一緒なら喜んで、って。夕食は兄さんと一緒に食べたいからって断ったよ」
 その台詞に深く息を吐き出した。
(間違いねぇ……!)
 好意を抱いている相手を食事に誘って、返答がそれでは、確かに『兄さん』を恨みたくもなるだろう。
 あの少女はアルフォンスのことを好きで、しかも自分たちが『二人きりの家族』だということも知っていた。そして、結果的に自分がアルフォンスを束縛している。
「彼女の言うことは気にしなくて良いよ。ボクに好意を持ってくれてるのは嬉しいけど、彼女とつきあうつもりもないし。なんていうか、兄さんに八つ当たりしたんだと思う」
 あれは八つ当たりというのだろうか。あの少女はおそらく、アルフォンスの返答を信じられない思いで聞いたに違いない。あれだけの美少女だ。言い寄る男も多いだろう。そんな彼女が、アルフォンスに恋をした。
 だが、アルフォンスは、と言えばつれない態度だ。彼は彼で思い人がいるのだから、それは当然ではあるのだが。しかし、だとしても、彼女には受け入れられない現実だろう。今まで、自分がふったことはあってもふられたことなどなかったのかもしれない。
 その上、アルフォンスが言った台詞が台詞だ。諸悪の根源がエドワードだ、と彼女としては思い込んで当然で、それならば、とこの家を訪ね、そしてあれだけの台詞を告げたとしてもおかしくない。
「お前な、断るときはもっと言葉を選べ」
「ボクが彼女よりも兄さんと一緒に夕飯食べたいって思ったのは事実だし」 
 その言葉は正直、嬉しい。嬉しいが、しかしそれで喜んでいるわけにもいかないだろう。
「兄さんに迷惑かけたみたいでごめん」
「いや、別にアルが謝る事じゃねぇけど」
 迷惑と言うには少し違う。呆然としたし、立腹したが、彼女の言葉が正しいのも真実だった。
「でも、かなりきついこと言われたんだよね?」
「まぁ、そりゃな。けど、事実って言えば事実だったしな。けどまぁ、オレは気にしてねぇから」
 それは明らかな嘘だったが、アルフォンスが気に病む必要もない。
「アルも気にすんなよ。まぁ、もう少し食事を断る口実は考えた方が良いと思うけどな」
「うん。そうだね」
 神妙な顔をして、アルフォンスはこくりと頷いた。それから笑顔を浮かべる。先ほどの、笑顔に見えない笑顔だった。
「これからは気をつけるよ」
 引っかかりを覚える笑顔を凝視して、理由を知る。口元は笑っているのに、目が笑っていないのだと気付いた。穏やかな表情を浮かべているようでいて、どうやら実情はかなり怒っている、らしい。
「アル、怒ってるよな?」
「怒ってないよ、別に。ちょっと兄さんに対しても呆れたし、彼女に対しても思うところはあるけどね」
 嘘には見えない。けれど、真実には見えなかった。やはりアルフォンスは怒っている。
「兄さん、きっとボクの未来を壊すなとか、ボクを束縛するなとか、そんなこと言われたんじゃない?」
「お前、何で知ってんだっ?」
 心底驚いて素っ頓狂な声が出た。その場に居たわけでもないのに、何故知っているのだろう。
「……そんなことだろうと思った」
 そこで一度言葉を切り、少しばかり遠い目をしながら再び口を開く。
「断ったときも『私たちの輝かしい未来をそんな理由で壊すの』とか、『あなたのお兄さんが、私のあなたを束縛するなんて許せない』とか言ってたから」
 余程、彼女の中では『輝かしい未来』とやらが鮮明に浮かび上がっていたのだろう。そしてそれはアルフォンスにとっても『輝かしい未来』のはずで、ところが自分の存在故に食事の誘いは断られた、ということのようだ。同情した方が良いのか、しなくて良いのか、もはやエドワードにはわからない。
「とにかく。ボクが夕食を兄さんと食べるのは、ボクが兄さんと一緒にいたいからなんだ。兄さんがボクを束縛してるわけじゃないよ。それだけは分かって欲しいんだ」
 真摯な声音で告げられて、それがアルフォンスの本心なのだと伝えていた。
「ん、わかった」
 妙に嬉しい、と思う自分がいる。自分は弟離れができていないらしい。
(でもまぁ、良いよな)
 アルフォンスには思い人がいるという。その相手がアルフォンスをどう思っているのか知らないが、両思いになるとしても、もう少し先のことだろう。
 そうなれば、自分と食事をしたいから、と彼が比較的規則正しく帰宅するのもあと僅かのこと。こんな風に、夜、二人でゆっくりと話すことはそのうちなくなってしまうかもしれない。
 ならば、それまでは自分も弟離れできなくてもいいだろう。いずれ、その時はきっと来てしまうのだとすれば。今は、このままで。
 悠久という時間が得られないことは良く知っている。だからこそ、今を。悠久には満たない、ほんの僅かな時間を大事にするのは悪くないはずだ。
「さてと。そんじゃ、夕飯にするか。もうシチュー冷めてるから、暖め直すな」
「うん」
 食事をしないまま会話していた間に、すっかりシチューは冷めていた。皿を受け取り、再び鍋に戻して暖める。その間、何気なく尋ねる。
「お前の好きな相手って脈はありそうなのか?」
「うーん、どうかな。ボクを嫌ってないのは確かなんだけど、恋愛対象としては見てないだろうから」
「あー、それは難しいかもなぁ」
 恋愛については良く知らないが、前提として嫌われてないのは良い。だが、恋愛対象として見ていない、というのは少しばかり条件が厳しいような気がする。
「うん。ボクもそう思う。けど、やっぱりボクは好きだから諦められないんだ。すごく鈍い人だから、全然ボクの気持ちには気付いてないみたいだけど」
「そっか」
 弟の恋愛話を聞くのは、やはり一抹の寂しさがある。再び暖まりつつある鍋の中身をくるりと掻き回しながら、小さく頷いた。
「上手く行くと良いな」
「兄さん、それ、本当にそう思う?」
 真剣な声音だった。それほど、切実な問題なのだろう。
「当たり前だろ」
 大切な、大切な弟。たった一人の家族。幸福を願わないはずがない。好きな人と結ばれて幸せになって欲しいと、そう確かに思う。例えその時、どんなに自分が寂寥感に苛まれるとしても。
「お前なら、きっと上手く行くよ。オレが保証する」
「……本当に?」
「あぁ。今は恋愛対象じゃなくても、そのうち見てもらえるようになるって」
 尚も鍋を掻き回しながら頷くと、不意に後ろから抱きしめられた。
「ちょ、アル……っ」
「兄さん」
 声音は、どこか甘い。いつもの弟の声とは違っていた
「兄さん、大好きだよ」
「なんだよ、急に。オレだってそうだ」
 耳元でささやかれてどきりとする。同性の、それも弟相手に。
「うん。知ってる。でもそれは、弟としてだよね」
「そりゃそうだろ。弟なんだから。こら、離れろよ。火が近いんだから、手元が狂ったら火傷するぞ」
 すでにシチューはことことと煮立っている。もう食べても良い頃合いだろう。だが、アルフォンスは相変わらずエドワードを抱きしめたまま動いてくれない。
「こら、アル」
「ボク、がんばるよ。兄さんがボクを恋愛対象としてくれるように」
 その言葉を、最初は聞き流していた。だが、しばらくたってからその意味を理解する。
(ボクを恋愛対象としてくれる、って、え……?)
 思わず首だけで振り返った。アルフォンスは極上の笑顔を見せている。
(さっき、アルは何て言ってた?)
 好きな人がいる、と言った。好きな女性、とか、好きな少女、ではなかった。 
――――うーん、我が強くて口が悪い、かな。
 ――――でもすごく、優しいよ。
 ――――一般的に見て美人じゃないかな。本人はたぶん、少しもそんなことに気付いてないと思うけど。執着していないって言うか。でも、すごく綺麗だと思う。
 自分の性格は、確かに我が強い。口も悪い。優しいか、と言われれば謎だが、少なくともアルフォンスに対しては甘い方だろう。美人か、と言われれば、男に対してまず美人という言い方はしないと思うが、アルフォンスの美的感覚は少しばかりずれている可能性もある。
 そして自分は長めの金髪だ。国家錬金術師になると決めた頃から伸ばしている髪は、今もそのままだった。
 ――――ボクの好きな人が兄さんに文句を言うことは絶対ない。ありえないって断言できるよ。
 もし。もしも『そのひと』がエドワードだとしたら、確かにその通りだ。自分が自分へ文句を言いに行くことはできない。
(ままままま、まさか)
 ぱくぱくと口が動いたが、何を言いたいのか自分でもわからない。
 そしてアルフォンスは、と言えば、相変わらず笑顔のままだ。笑顔のまま、頷いた。
「ボク、絶対諦めないよ。上手く行くって、保証してもらったしね」
 言った。確かに、言った。言うんじゃなかった、と思ったがもう遅い。後の祭りでしかなかった。後から悔いるから、後悔というのだ。
「いや、ちょっと待て、それはだな、ふつーに考えてマズイだろ、いろいろとっ!」
「うん。それは分かってる。けど、やっぱり好きなんだ。ずっと、兄さんと一緒にいたい。ボクたちは人間だから、永久とかは無理だけど、可能な限り、ずっと」
 果たして、エドワードはなんと答えれば良かったのだろう。言葉は見つからないままだった。そして前言撤回をしても、受け入れてもらえないことだけは確実だった。
「だから、覚悟してね兄さん」
 どんな覚悟だ。そう思ったが怖くて聞けない。
 けれど、一番怖いのは、嫌だ、とは思わない自分自身だった。
 これはかなり、やばいような、まずいような気がする。とてつもなく、どうしようもなく。
 鍋を更にぐるぐると掻き回す。どう見ても煮立てすぎだったがどうしていいのか、もうそれすらわからない。
 アルフォンスがエドワードを抱きしめる力は弱まらないままだ。戸惑っているし、混乱している。そんな自覚があった。 
「今すぐじゃなくて良いんだ。安心してよ。ボク、気はそんなに短くないから。……兄さんの弟だから、長くもないけどね」
 主語はなかったが、それは『恋愛対象として見る』ということについてだろう。それは分かったが、言っていることはどこか不穏な、そして不遜な気がするのは気のせいだろうか。
 言葉を失ったまま、アルフォンスを見上げる。眩しいほどの笑顔を浮かべたままの、大事な弟を。
 ずっと一緒だった。もしかしたらこれからも、一緒にいるかも知れない。エドワードが想定した時間よりも、ずっと長い時間。
もはや想像するのも難しい未来を片隅に思いながら、エドワードはとにかく現実を見つめる努力をした。
 そうして、とにかく調理中は危ないから離れろ、とアルフォンスを叱るのはその五秒後のこと。
 アルフォンスが頷き、そして交換条件であるかのようにエドワードの頬にキスするのは更にその十秒後の話。
 悠久未満の時間が確実に始まっていることを、エドワードはまだ、知らない。




END