アニメ1期後、シャンバラ上映前に書いたものです。
なので微妙にシャンバラと設定が違います。
それでも大丈夫な方のみどうぞ。








夢 鏡










 遠い、とおい夢を見ていた。

 兄がいて、自分がいて、母がいる、そんな夢。

 それは幸福な風景。遠い過去。日々が優しさに包まれていた頃。かつては当たり前だった、その日常。

(兄さん)
 心の中で呼びかけると、無邪気に兄は自分へと笑いかけてくる。素直で元気で、そして優しくて強くて賢い、そんな自慢の兄。彼の、笑顔がとても好きだった。たぶん、母親の優しい笑顔よりも。
 誰よりも、誰よりも自分にとって大切な人。大好きな人。

 ―――アル。アルフォンス。

 笑顔で、彼が自分の名前を呼ぶ。自分はその瞬間がとても好きだった。
 両手を広げる彼に抱きつこうとする。その腕の中に飛び込んで、抱きしめて。そしてもう離さない。離したくない。

(兄さん)

 けれど、突然風景が変わった。
 大好きな兄の姿が消え、母の姿も見えない。
 存在するのは暗闇。ひたすらに広がる、漆黒の世界。

(兄さん!)

 叫ぼうとするのに声が出ない。どうしよう、と思った。それから暫くして、ここはどこだろう、と思った。
 暗闇の中、無茶だと知りつつ歩き回る。歩いても歩いても暗闇だと言うのに、止まることの方が怖かった。
 不意に、また風景が変わった。
 暗闇には違いないけれど、今度は遠くに何かの扉が見える。
(…あれは、何だろう?)
 どこかで見たような気がする。あれは、なんだろう。  周囲は暗闇とその扉だけ。そうである以上、行動は一つだ。その扉に向かって走り寄る。

 ――――――大きな、おおきな扉だった。

 何故だろう。手が震えた。けれど、開かなくては、と思った。きっと兄は、エドワードはこの扉の向こうにいるのだと思った。迷ってなどいられない。


 そして、扉は開かれた。















 最初に思ったことは、頭が痛い、ということだった。
 何故、こんなにも痛むのだろう。
 そんな当然の疑問を持ち、解答を探して痛む頭を騙しながら考える。
 現在、頭は痛みだけのせいではなくてぼんやりとしている。これは自分が今まで眠っていた為だ。そのくらいの自覚はある。つまり、自分は今の今までベッドで眠っていて、今、ようやく起きた状態なのだ、ということくらいは。
 問題は、何故こんなにも頭痛がするのか、ということだ。
(今、ボクは師匠の家で修行させてもらってて、それで)
 そう。自分は今、イズミの世話になっている。消えてしまった兄に。エドワードにもう一度会う為に、錬金術を学びたくて。
(…それで)
 どうしたんだっけ、と考えていると、物音が聞こえた。誰かが移動しているらしいが、足の不自由な人物のようだ。
 一体誰だろう。イズミもシグもメイスンも、足に怪我などしていない。それとも、怪我をしてしまったのだろうか。
 そんなことを考えながら、未だ痛む頭を自分で軽くさすり、ゆっくりとそれまで閉じたままだった目を開く。
(…あ、れ…?)
 予想とは違う天井が目の前には存在している事に驚いた。慌てて、がばりと起きあがり周囲を見渡す。
(ここ…?)
 どこだろう。それは、見知らぬ部屋だった。
 部屋はとてもシンプルだ。自分の眠っているベッド、それから机と椅子。窓にはカーテン。
 イズミの家には、こんな部屋は存在しなかった。自分たちの家はもうない。ロックベル家でも、ない。
 頭は未だに痛む。疑問が疑問を呼び、少々混乱した。ここはどこで。どうしてこんなにも頭が痛むのだろう、とそればかり考える。
 足音が止まる。次の瞬間、部屋のドアが開いた。 
 ごく自然にドアの方向へと視線を向けた。そうして現れた人物を見た途端、息を飲む。
(どう、して…?)
 驚愕の為、声も出ない。
 そこにいたのは、自分がずっと、ずっと逢いたかった人だった。逢いたくて逢いたくて、夢に見る程に逢いたかった人。
「あ、起きたのか?」
 にこり、と彼は笑っていった。その姿は、自分の記憶よりも随分成長していた。ウィンリィに見せてもらった写真よりも、少しだけ年月を経たらこんな風になる。そんな、姿。声も、自分の知るそれよりも若干低い。髪の毛も、自分の知る彼はこんなに伸ばしていたことなどなかった。…勿論、自分の知らない三年間の間は髪を伸ばしていた、ということは知っているけれど。
「頭、痛いのか? 派手に落ちたもんな。大丈夫か?」
 尋ねる彼の声は穏やかで優しい。そして、本気で自分を心配している声音だった。
「…さ、ん…?」
 ようやく、掠れた声がアルフォンスの口元から滑り落ちる。それは掠れた為だろうか。自分の声にしては若干低いものだった。
「どうした、アル?」
 身体を折り曲げ、彼がアルフォンスの顔を覗き込む。懐かしい、金色の美しい瞳。
(あぁ)
 間違いない。間違えるはずがない。
 ―――これは、彼だ。
「兄さん…!」
 次の瞬間には、彼を抱きしめていた。
「ちょっ、…アル…?」
「兄さん、兄さん、兄さん…!」
 他に言葉を知らないかのように、繰り返し、繰り返しアルフォンスは彼を呼ぶ。兄さん、と。
 そう、目の前にいるのはアルフォンスの兄に間違いなかった。誰よりも大切な兄、エドワード・エルリックに。
「兄さん、…兄さん」
 ずっとずっと、抱きしめたかった。逢いたかった。ひたすらに。
「…お前、もしかして…、アルなのか?」
 先ほどエドワード自身も『アル』と呼びかけていた癖に、恐る恐る、彼はそう尋ねる。自分に抱きしめられたまま。
「そうだよ。決まってるじゃないか。兄さん、逢いたかった。…逢いたかった…!」
 こくりと頷き、そう事実だけを告げる。けれど、同時に身体の奥から奇妙な声が聞こえた。
(君は、誰…?)
 誰かが、不思議そうに問う。空耳ではない。けれど、それは実際の声ではなく、アルフォンスの頭の中に直接響いてくるかのようだ。
 その不可思議さに、アルフォンスは動きを止めた。一体、自分はどうしてしまったのだろう。
(誰、って。ボクは、アルフォンス。アルフォンス・エルリックだよ)
 心の中で答えると、相手はひどく戸惑った様子だった。そして、相手はやはり頭の中で直接語りかけ、こう告げた。
(違う。アルフォンスは、ボクだ)
 そしてもう一度告げる。君は誰なんだ、と。