あの日から、後悔だけはしないと決めていた。

「別れようか」
 いかにも何気なく言われた台詞に、エドワードは内心苦笑する。それはいつか言われるだろう、と思っていた台詞だった。
 だが、この場で言う辺り本当に最低だな、と再認識せずにはいられない。何しろ、自分たちはほんの数分前までは肉体関係を持っていた。そんな情事直後に言う台詞とはとても思えない。せめて、それは自分をベッドへと誘う前に言う台詞ではなかろうか。
 そんなことを考えつつ男へと視線を送れば、いつもと同じ。内面の見えない、完璧な微笑。エドワードの気持ちを見透かす癖に、彼は決して自分の内面をさらけ出すようなことはしない。それが『大人』であることの証明なのだろうか、と時々エドワードは思うことがある。それとも単純に、この男だけが狡猾なのだろうか。
(少なくとも、最低なのは間違いねぇと思うんだけど)
 自信を持ってこの男、――ロイ・マスタングは最低な男だ、と断言できるが、そんな最低の男に惹かれたのは自分で、つまり自業自得としか言いようがなかった。
 そして答えは最初から決まっていた。――――あの日から、彼と肉体関係を持った日から。
だから口を開く。迷いはなかった。
「わかった」
 元々、惹かれていたのは自分だけで、ロイにとっては戯れに過ぎなかった。その事実を知っていたからこそ、こんな日が来ることもまた、知っていた。
 自分の返答が意外だったのか、ロイが眼を微かに見張る。泣いて縋るとでも思っていたのだろうか。そんな無様な真似なんかするはずもないというのに。
 最初から覚悟はできていた。この日が来ることも知っていた。夢が終わることも、知っていた。
 ――――――そして自分は、後悔しないと決めていた。
(そうだ。後悔なんて、しねぇ)
 結末はわかっていたし、だから悲しくもない。切なくもない。ただ、その時が来た。それだけのことだった。
「シャワーくらいは浴びて行って良いんだろ?」
 尋ねると、ロイは頷く。
「勿論。そこまで無粋じゃないよ」
「……十分、無粋だと思うけどな。この状況でその台詞ってのは」
 軽くため息をつきながら告げると、ロイは大仰に肩をすくめた。そんな演技めいた動作が、この男は良く似合う。
「返す言葉がないな」
「良いけどな、別に。予想より長かったくらいだし」
 告げる言葉に嘘はない。こんなにも長い間、彼が戯れを続けるなんて思わなかった。
 せいぜい、二、三度の逢瀬が関の山だと思っていたのに、一年近く関係が続いたのだから上出来と言うべきかもしれない。
「良いのか?」
 本当に良いのか、と男は尋ねる。
 その声が好きだと思う。低く、優しく、甘い。偽りだとしても、自分に向けられるそれは心地良かった。
「良いぜ?」
 けれど、やはり答えは変わらない。変えられるはずもない。それはあらかじめ全てが決まっていたのだから。
 ゆっくりと立ち上がったが、足下が微かにふらついた。久々の行為だったから、自分が思う以上に身体へ負担がかかっていたらしい。
「……っ」
 どうにか立ち続けることはできたが、変わりに彼の残滓が微かに己の太股を伝ったのがわかった。その感覚は何度か経験しているが、慣れることはないままだ。
 一歩、また一歩。移動する速度はいつもの数倍遅いのは仕方のないことだ。
 最初の頃はその事実に苛ついたが、受け入れざるべき相手を受け入れたのだから、それなりの代価を要すのは当然だろう。それに、この感覚も今日が最後と思えばいくらでも我慢できる。
「鋼の」
「何だよ」
 聞き慣れた銘を呼ばれ、振り返る。ロイは未だにベッドの中だ。
「おいで」
「……だから、何だよ」
 普通に考えて、自分よりも相手の方が疲労度は低いだろう。それなのに、ロイは自分に来い、と言う。その傲慢な性格にも慣れたが、最後の最後でも呼びつける辺り、本当に性格が悪い。
 それでもシャワールームへと向かうはずの足が、ロイの方向へと軌道修正してしまうのは、やはり結局のところ、自分がこの男に惹かれているからなのだろう。
 もう終わる関係だとしても、自分がこの男に恋をした、その事実には何一つ変わりない。
 怠さを騙しつつロイの元へと近寄ると、彼がエドワードの腕を引いた。予想していなかった行動に呆気なくバランスを崩し、彼の胸元に飛び込む形になる。
「ちょ……っ」
 いかにも当然に抱きしめてくる腕に、一瞬混乱しかける。別れる、とつい先程言った癖に、一体これはどういうつもりだろうか。
「少し、名残惜しくなってね」
 その疑問に応えたのは、笑いを含んだ声音。あまりにもあっさりとエドワードが納得したのが気に入らないのか、それとも他の理由なのかは知らないが、最後にもう少し、じゃれてみようとでも思ったらしい。
「あのなぁ……!」
 男が最悪の、最低の男だとわかっていても怒るのは当然だろう。仕方のない男、と諦められるほど、エドワードも達観していなかった。
 怒気を含んだ声で睨み付けたが、ロイは気にした様子など皆無だ。相変わらず笑みを浮かべたままだった。
「明け方までまだ時間がある。良いだろう?」
 答えなど求めていない癖に、問うてくるのは何故なのだろう。この男は最低で、我が儘で、横暴だった。それなのに、どうして自分はこの男に惹かれてしまったのだろう、と思わずにはいられない。
 けれどそれは、何度自分に尋ねたところで、返答があるはずもなかった。
 気がついたら惹かれていた。どんなにこの男が最低だと知っていても、それでも尚、恋している自分がいる。自分の趣味はきっと最低なんだろう、とも思う。けれど、どうにもならない。
 ちら、と時計へと視線を送る。確かに、夜明けまではまだ多少の時間はある。
 そう思った頃にはロイの手が明確な意志を持って自分の身体に触れていた。
「――っ、ぁ」
 先程まで熱を高めていた身体だ。呆気なく、再び熱が灯る。男が笑うのも当然だろう。自分はあまりにも単純で、そして滑稽であるに違いない。
「ちょっ……、やめろって」
 慌てて止めたが、それで止まってくれるような人間ではなかった。当然のように重なる唇。そして進入する舌。阻止しようとして、けれど失敗した。
 男はどこまでも、自分の扱いに慣れている。どうすればどんな反応をするのかを熟知し、反撃の隙を与えない。悔しいと思う余裕さえなかった。 
「ん、ぁ」
 ようやく唇が離れた、と思う頃にはロイの指が確認するかのようにゆっくりとエドワードの内部へと押し入っていく。その動きが歯がゆい。もっと、と無意識に強請りそうになる自分に気づいて、慌てて唇を噛んだ。
 残滓の残る内部は、ロイの指を歓喜して迎え入れる。そうなるように、男が自分に丹念に教え込んだ。苦痛ならただ耐えるだけで良いというのに、それではつまらないと、そう笑って告げたのは何度目の夜だっただろうか。
 結果、多少の苦痛は今も存在するものの、それ以上に快楽を享受するようになった。同性である男に穿たれることを身体は悦び、その上で果てる。それこそが最上の快楽である、とこの身に刷り込まれていると言っても良い。
「……ン、んっ……」
 ロイの指は実にエドワードの内部を的確に蠢いた。そうされてしまえば、身体はただ快楽を受け入れるばかりだ。そこに感情は必要ない。考えることも、拒否することもできない。ただ、悦楽を知るだけだった。

◇■◇


 男に抱きしめられた状態で、互いの息が整うのを待った。そんなとき、髪を撫でるのはこの男の癖らしい。乱れた髪を手櫛で軽く梳くようにして撫でる。時にはキスをする。それは恋人同士のような、どこか甘い、不安定な時間だった。
 けれどそれも、今日までの話だ。彼の手をはたいて止めると、快楽の余韻に浸る間もなく、半身を起こす。身体が怠い。それはあまりにもいつも通りの感覚だった。
「今度こそ、シャワー借りるからな」
 告げると、ロイは肩をすくめた。
「情事後に、あまりにも味気ないのは問題だな」
「今日で終わりなのに何が問題だってんだよ」
「男にとっては行為が全てだが、女性にとってはその後も重要らしい、という話だよ。確かに、私にとってはそのくらいの方が気楽だがね」
 女たらしの講釈など聞きたくもない。ロイは明日からも幾多の女性と夜を重ねるのだろうし、そうなれば情事後の会話もさぞかし重要だろう。
 だが、自分にはまるで関係のない話だ。自分が肉体関係を持ったのはロイに対してだけだし、今後は当分誰ともこんな関係にはならないだろう。こんな醜態を晒すのは、この男に対してだけだ。この男にしか、こんな真似など許せるはずがなかった。
 そうして異性にも、肉体関係を含めての当分興味など持てそうにない。
(んなこと、絶対言わねぇけど)
 言えば、きっとロイは歓ぶのだろう。だから言わない。自分がどれだけこの男に惹かれているのか、口になど出せるはずがなかった。そうでなくとも、この男は自分の思いを十分に理解しているのだから。
 尚も話を続けるそぶりの男を無視し、無理を承知で立ち上がった。先程より、更に足下がふらつく。思わず舌打ちした。
「夜明けまで休んでからにしてはどうかな」
「冗談。もう、終わりだ」
 そう。終わりだ。もう、全て終わりだから。
 未練など一欠片も残したくなかった。だから、振り向かない。振り向かないまま、床に落ちた己の衣類を拾った。シャワーを浴びて、そしてこの部屋には二度と訪れない。ロイの寝室になど、二度と来ない。絶対に。
 ロイももう引き留めることもなかった。それで良い。少しずつ歩き出し、その倦怠感に眉根を寄せて耐える。
 歩きながら、思う。
 
 ――――――――これで、終わったのだ、と。
 
 それは安堵に似ていた。


◇ ■ ◇
そんな感じの話です。





※試し読みのため、1章の1部抜粋のみです。以後は掲載予定はありませんのでご注意を。


須臾にして連綴の鎖り