S T A R T



「鳴海、身長って何センチ?」
 練習が終わって黙々と着替えていると、突然、自分を見上げながら将に尋ねられた。
「知らねぇけど、百八十くらいだろ」
「そっかぁ。じゃぁ、多分三十センチくらい違うんだね」
「……チビだチビだとは思ってたけど、お前百五十しかないのかよ……」
 それは本当に本物のチビだ、と心底思ったが、さすがに口には出さない。
「今はそうだけど、そのうちきっと鳴海くらいの身長になるよ」
「……そりゃ、いくら何でも無理じゃねぇか?」
 あまりにも希望的観測過ぎるだろう、と貴史としては思う。その希望を抱くのも無理ないようは気は確かにするが。
 だが、将としては本気で言っているのだろう。相変わらず、真っ直ぐな瞳でいかにも当然、とばかりに口を開く。
「そんなことないよ。だって鳴海だってぼくくらいの身長だった時期があるんだから」
「……」
 なるほど、それは確かにその通りだ。だが、自分は確か小学生の中学年の頃にはすでに将くらいの身長にはなっていたと思うのだが。
(まぁ、信じるのは自由だしな)
 それに、信じるからこそ。前向きだからこそ、将は将なのだ。
 可能性はいつでも、ゼロではない。どんなに小さくても。だから、彼は前を向き続ける。
 そして、だからこそ。……だからこそ、自分は将に惹かれたのだ。
 どこからどう見ても男で。そんな趣味などなかったはずなのに、気が付いたらどうしようもないくらいに、惹かれていた。
 取り返しが付かないくらいに。
 恋愛で良く言われる言葉に、「先に惚れた方が負け」なんて言葉があるけれど、それが真実ならば自分は間違いなく敗者だった。
 くやしいし、苛立たしいと思うけれど、どうしようもない。どんなに、こんな奴なんて、と思っても彼を見つめてしまう自分がいるのは事実だった。
「…そういえばさ」
 シャツのボタンを留めながら、尚も将は口を開く。
「何だよ」
「鳴海の背中って広いよね」
「………」
(一体、何を言ってんだよコイツは) 
 それは確かに広いだろう。図体が大きければ、背中も広いのは、至極当然のことだ。
「練習中とか見てて、いつも良いなぁ、って思うんだ」
「はぁ? 何が良いんだ?」
 将が何を言いたいのか、さっぱりわからなくて首を捻る。時々、将は所謂不思議な事を言う。それは彼が天然だから、の一言で説明はつくのだが。
「うーん。単純に羨ましいって言うか。理想の体格っ感じなのかな?」
 真顔で言い続ける将に、一瞬言葉を無くす。普通なら素面では言えないような台詞だが、真面目な表情を浮かべたままの台詞である以上、彼は真剣にそう思っているのだろう。
「…それで俺様に見とれてるって訳か。まぁ、俺は良い男だからな」
 返事に困り、結局茶化した。けれど、くすりと笑って将は頷く。
「そうだね」
「………」
 将と話していると、どうにも調子が狂う。これはきっと、彼が鬼門だからだろうな、と貴史は思う。
 本当に、彼は鬼門だ。話すたびにそう思う。
(こんなはずじゃなかったのによ)
 そう、こんなはずではなかった。彼に恋するつもりなんて、欠片だってありはしなかったのに。
 最初に見たときは、単なるチビ、だった。
 興味があったと言えばあったし、なかったといえばなかった。基本的にチビは全員嫌いだ。ただし、性別が女なら話は別として。 
 けれど気が付いたら、いつでも彼を見ている自分がいて、更に欲しい、と思う自分がいたのだから質が悪い。それを世間的に恋、と呼ぶことに気が付いたから尚更。
「お前って変な奴だ、って良く言われねぇか?」
「うん、良く言われる。何でかな?」
 首を傾げて問う仕草は、必要以上に彼を幼く見せる。どう見ても貴史と同じ年には見えない。
 そんな彼をしみじみと眺め、貴史は内心ため息をつく。純真で、真っ直ぐで。多分、そんなところに自分は惹かれた。とても負けず嫌いで、前向きなところにも。必要以上に、頑固なところにも。…けれど。
 救いようがない程、彼は鈍感だった。
(こーいうの、なんて言うんだっけな。八方塞がり、だったか?) 
 何しろ、好きになった相手が男で、しかも鈍い。好きだと実は言ったこともあるのだが、あっさりと「うん、ぼくも」と笑顔で返されて終わった。どう考えても、それは「好き」を勘違いしているのだろう。友情とか、仲間のそれと。
 そんな鈍さも、彼の確かな個性だから、無論愛しくはある。あるのだが。
 そんなわけで現在、目の前に好きな相手がいた所で、もどかしいながらも手も足も出ないのが貴史の現実だ。
 実に、ものすごく、不本意だった。
「か〜っ、畜生っ!」
 ざかざかと頭を掻きむしる。それは将にとっては突然の行動に見えたのだろう。ひどく驚いた様子自分を見上げる。
「…鳴海、どうかした?」
「何でもねぇよっ!」
 不思議そうに尋ねる彼に対して、お前のせいだ、と言ってもおそらく彼は理解しないだろう。
 苛々とした気分で将へと視線を落とす。大きな目。綺麗な、目。
 きっと、彼は貴史が何を望んでいるのか、どんな風にしたいのか知らない。だからこんな風に、自分を見つめるのだろうと思う。
 苛立っても仕方ない。どうしようもない。自分は彼に恋した。つまり、彼に負けたのだ。
 それも惨敗の、完敗だ。
 負けるのは嫌いだった。本当に、嫌いだったけれど仕方ない。
 一応足掻いてはみたけれど、全て無駄に終わった。好きなものは好きで、自分の思いをねじ曲げることなどできない。
「帰るぞ」
「うん」
 気が付くと、周囲には誰もいなくなっていた。そのことに気が付いて内心首を傾げる。
 いつもなら、将と一緒に帰ろうと皆待っているのに、今日に限って誰も残っていないらしい。珍しいこともあるものだ。
 そう思って将に尋ねると、困ったように彼は口を開く。
「えっと。…今日は鳴海と帰るから、って先に帰ってもらったんだけど、…もしかして嫌だったかな。ごめん」
 ぎゃふん、と思った。
「……嫌じゃ、ねーけどよ。どーいう風の吹き回しだ?」
 たっぷり数十秒の沈黙を経てようやくそう言う。
 そう、嫌なはずがない。いつだって、他の連中は邪魔でしかないのだから。
「たまには、二人で歩きたいなぁ、って思ったから」
「………」
 今度は完全に絶句した。どうしたのだ、彼は。突然。いきなり。
 あまりにも自分はぽかん、とした顔をしていたのだろう。将がくすりと笑った。
「……何だよ」
「何でもないよ。ただ」
「ただ、何だよ?」
 彼が何を言いたいのか、考えているのかさっぱり理解できずに先を促した。
「……ただ、鳴海のこと、すごく好きだなぁ、って思っただけで」
 笑ったまま、彼は言う。まるで何でもない事のように。
 けれど、貴史は将の言ったことが瞬間理解できない。
「鳴海の広い背中とかも、勿論好きだけど。部分とかじゃなくて、鳴海の全部が好きだな、って思って。なんか嬉しくなったんだ」
 もしかして。もしかすると。否、間違いなく、つまり。
「お前、俺のこと好きなのか?」
「うん」
 少しも悩まず、あっさりと彼は頷く。その表情には無論、嘘など見つからなかった。彼が嘘が下手なことくらい、誰でも知っている。
「恋愛感情で、か?」
「うん、勿論」
(って、ことはもしかして)
 そう、もしかして。以前の自分の告白を、ちゃんと将は理解していて。その上で「ぼくも」と言った、のだろうか。否、将の台詞を考えると、そうとしか思えない。
(……畜生)
 やられた、と思った。誰に何をやられたのか、自分でも分からなかったが。
 将は別に自分を欺いたわけではない。彼はただ、彼らしく素直に思った通りの言動をしているにすぎない。それを、彼は鈍感だから、と自分が取り合っていなかっただけだ。
 彼は本気だったのに、自分が本気と受け取っていなかった。彼の本気を冗談だと、そんな風に卑屈に受け取っていた。それだけの話。
(これじゃ、連敗じゃねぇか)
 彼に恋して負けて。彼を見くびって、また負けた。
 恋に勝ち負けなんかないのかもしれない。けれど、敗北感が確かに存在した。
 どうしようもなく間抜けな自分に、限りなく腹が立つ。ついでに、愛の告白をしたところでまるで変わらず、自然体なままの彼が愛しい一方で、どこか恨めしい。
 彼が自分に対して、恋していることをわかりやすい態度示していてくれたなら、もっと早くにその事実に気が付いたに違いなかったのに。彼は本当に、何も変わらなかった。だから、ちっとも気が付かなかったのだ。
 けれど、それは単なる貴史の都合を押しつけているだけで、将にしてみれば迷惑千万な主張だろう。
 将は将で、恋をしても将のままだった。つまり、そういう事だ。全てを理解した上で、変わらず真っ直ぐ自分を見つめられる程に。
(このまま、負けっぱなしでいられるかよ)
くやしい、と思った。だから見返してやれ、と更に単純に思う。
「おい、チビ」
 名を呼ぶと彼が無防備なまま、自分を見上げる。そんな彼に対して、貴史が身体をかなり屈めると、ようやく彼と同じ目線になった。
「な…」
 鳴海、と名を呼ぼうとしたのだろう彼の言葉を最後まで聞かず、彼の唇に自分のそれを一瞬だけ重ねた。
「……っ!」
 本当に僅かな時間ではあったが、彼を驚かすには有効だったらしい。彼は顔を林檎のように赤くした。
「チビ、なるべく早く身長延ばせよな」
 耳まで赤いままの将にそう言うと、彼はやはり赤面したまま口を開いた。
「……何で?」
「キスしにくいからに決まってんだろ」
「……っ!」
 赤い顔を更に赤くする彼を見て、貴史は笑った。ひどく、幸福な気分だった。
「とりあえず、一勝二敗だな」
 将には分からないだろう言葉を、小さく呟く。自分は二敗した。もう一度勝てば引き分け。更にもう一度勝てば、自分の勝ちだ。
 けれど、もしかしたらその前にまた彼に負けるかも知れない。
(ま、それも良いかもな)
 そうしたら、また自分が勝てば良い。それだけのことだ。
 勝負ではない勝負の行方は、これから次第なのだから。

 
 勝負は、まだ始まったばかり。

END

◇■◇

某イベントの企画本に寄稿させていただいた鳴海×将です。
再録OK、というお言葉をいただいていたのでUPしてみました。