Spiege lim Spiegel 






 大通りへと出て、ロイの屋敷へと戻ろうとしたところで、偶然ロイ本人を見つけた。手には大きな包みを持っている。もしかしたら、あれが義手かもしれない。
 思わず、彼の元へと駆け寄ろうとする。だが、今の義足は走ることには向いていない。結局、早歩きがせいぜいだった。
 ロイは若い女性となにやらずっと話し込んでいる。やっぱり女たらしだな、としみじみ思う一方で、彼を足止めしてくれている女性に心の底から感謝した。
 そのうち、ロイの方がエドワードが近づいていることに気付いたらしい。最初は驚いた表情をしていたが、やがて納得した表情に変わった。エドワードの行動をおそらくほぼ正確に予想し、把握したのだろう。
 微笑みを浮かべ、何事かを女性に囁くとくるりと背を向ける。そしてエドワードへと視線を向けたかと思うと、歩き出した。
「畜生っ、待てよっ!」 
 もう少しで追いつくところだったのに、と思いながら必死で後を追った。道が混雑しているから彼の速度もそう速くないのが救いだったが、それでもあまり歩かれると距離を引き離されてしまう。
 やがて、ロイは大きな橋を渡る。けれど、そうかと思うと橋の真ん中で彼は歩みを止めた。
 まるでそれは、エドワードを待っているかのようだ。否、本気で彼はそのつもりかもしれない。その証拠に、微笑みを浮かべ、じっと彼に向かって歩いてくるエドワードを見つめている。
「何考えてんだよ、あんたは……っ!」
 追いつくなり、取りあえず怒鳴ったがロイは微笑みを浮かべたままだ。
「色々、考えているよ。君を私の元に永久に留めておくには、どうしたらいいのか、とかね」
 その問いの答えは容易だった。なぜなら、存在しないのだから。
「そんなん、無理だ。それより、義手くれよ。それ、義手なんだろ?」
「全く、君は必要ないところまで聡いな。せっかく秘密にしていたというのに、こんなにタイミング良く嗅ぎつけるとは」
 褒められているのか貶されているのか微妙な台詞に、エドワードの眉根に皺が寄る。
「なんで、内緒になんかすんだよ。オレが義手なしで不自由してること知ってんだろ」
「勿論、知っている。だが別に、なくても君は生きていける。私の庇護の元、暮らせば良い」
 ロイの表情はひどく優しい。それはまるで、プロポーズのようだと思った。確かに、彼の庇護の元ならば生きてはいけるだろう。
 ロイの裕福な暮らしぶりを見れば、それは客観的な事実であるように思う。広い屋敷には通いの使用人もいたし、住み込みの使用人もいた。まるで閉じ込められるようにあの屋敷でだけ生きるならば、手足など必要ないかもしれない。
 だが、それは生きるだけだ。意味がない。そんな生をエドワードは少しも望んでいない。それがどんなに贅を尽くしたものだとしても。
「断る」
「つれないな」
 肩を竦めて苦笑する。そんな仕草も、あの男と同じだった。
左手を彼の目の前に差し出し、口を開く。
「義手、よこせ」
「嫌だと、言ったら?」
「嫌でも、欲しい。オレにはそれが必要なんだ」
 贅沢などいらない。自分が欲しいのは、元の世界に戻るための道標だ。それを探すために、どうしても手足は必要だった。
「だが、君はこの義手を手に入れたら私の元を離れようとするのではないかな」
 彼は先ほど、自分の事を聡いと言ったが同じ言葉を返してやりたい衝動に駆られる。どうしてそう、エドワードの行動を彼は正確に読み取ってしまうのか。それとも、それほどまでに自分はわかりやすいのだろうか。
「……オレは、あんたとずっと一緒にはいられない」
 目を伏せて、告げる。
「私は、そうは思わないが」
 我が儘な彼らしい言葉だ。彼にとって、自分は彼の側にいて当然なのだろう。
 おそらくは気まぐれに自分を欲しがっている男だが、その情熱は本物だった。おそらく、エドワードが形だけしかなびかないのが面白くないのだろう。だから、欲しがっている。まるで玩具をねだる子どものように。
「無理だ。オレは、帰る」
 言い切ると、彼はまた笑った。
「そうか」
 笑いながら言うと、義手と思われる包みを持った手を上げる。
「それなら、これは渡せない」
 ――――止める間など、なかった。
 少しも躊躇わず、彼は包みから手を離す。それはあっけなく落ちた。
 ばしゃん、という何かが落ちた水音が橋下から響く。
「何を……!」
 慌てて橋を見下ろすと、ぷかりと包みが川に浮いていた。急いで周囲を見渡す。早く、拾いに行かなければと、その思考だけで頭が染まった。
「元の世界になど、戻らなくて良い」
「オレは帰るって言ってる!」
 苛立ちながら叫び、伸ばしてきた彼の手を振り払った。川の中に自分も飛び込んだ方が早い。だが、そうすれば確実に義足は壊れるだろう。水流の早さは知らないが、場合によっては溺れる可能性も高い。だが、諦められるはずがなかった。
 身を乗り出そうとして、あっけなく彼に捕まった。
「離せよ!」
「離すはずがないだろう?」
「離せ……っ!」
 彼の手をふりほどけない。何度もこの世界に来て思い知った、自分の無力さをまた噛み締める。悔しくて目尻に涙が浮かんだ。
「……そんなにも、あの義手が必要か」
 静かで冷たい声音が降り注がれ、迷わず頷いた。
「必要に決まってる」
 機械鎧が存在しない以上、あの義手はエドワードにとって大事な腕だ。
「強情な事だ。君は本当に厄介な存在だな」
「良いから離せよ。早く拾わないと……!」
 大事な腕。前に進むために、足だけでは駄目だ。それなのに、ロイが邪魔をする。
「だからこそ、手放せない」
 そんな台詞と共に、ふわりと身体が浮いた。何があったのか理解したのは、一瞬後の事だ。あっけなく、自分は彼に抱えられていた。
「離せよ、――離せっ!」
 気ばかりが焦り、じたばたとしてみたが敵うはずがなかった。周囲にいた人間たちが何事かと自分たちを見ている。
「そんなに必要なら、後で他の人間に拾わせてやる。だから少しは大人しくしなさい」
「今拾わなかったら、また壊れるかもしれないだろっ!」
 自分は時間が惜しい。一分でも、一秒でも。かつて弟の身体を取り戻したくて、がむしゃらに旅を続けていたあの日々のように。
「だが、今君が飛び込んだところで、君が溺れ死んだら意味がないだろう。片腕と片足でどこまで泳げるつもりか知らないが、無駄なことはやめたまえ」
「……っ、そんなん、誰のせいだと思ってんだよ!」
「私だな」
 あっさりと頷いたが、エドワードを離すことはなく、そのまま彼は歩き出す。どんなに暴れて、罵詈雑言を浴びせても無駄だった。そのまま車を拾うと押し込められ、屋敷へと向かうように運転手に告げる。
 そうなると、もう文句を言う気にもなれなかった。いくら文句を言ったところで、この男は平然と無視し続けるだろう。それならば、どうするのが最善か考えた方が良い。
(確かに、溺れ死んだら意味ねぇしな)
 感情的になって飛び込もうとはしたものの、飛び込んでいたら今頃どうなっていたかはわからない。もっとも、だからと言ってロイに感謝する気にはなれなかった。
(せっかく、直してくれたってのに)
 はにかんだジャンの表情を思い出し、唇を噛む。彼の師匠が見慣れない義手をどうにか直してくれたというのに。
 それなのに、自らジャンを呼び、修理を依頼しておいて川に落とすなんて、一体何を考えているのだろう。
 ぎり、と唇をかみ締め、ロイを睨んだ。彼は窓を見ている。ただし、腕はエドワードの肩を抱いていた。まるで、離すことを恐れるかのように。
 彼の表情からは何も読み取れない。表情を消すのが、そういえばあの男も上手かった。
 いつも、何を考えているのかわからなかった。微笑み、軽口を叩き、自分をからかう。時には叱咤する。
「……また、あの男の事を考えているのか」
 不意に冷たい声音が耳に届く。無論、声の主はロイだった。
「……」
 答えず、俯いた。だが、それは肯定の意味しか成さないだろう。
 ロイはそれ以上何も言わず、また窓を見る。自動車の音だけが、その空間を支配していた。