Spiege lim Spiegel
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案の定、と言うべきか、その翌朝義手が壊れた。義足はとりあえず今も使用できるが、これも時間の問題だろう。
どうやら、本を大量に持とうとしたのが悪かったらしい。左手で重さを支えれば大丈夫と思っていたが、すでに壊れる寸前だったらしい義手はいつも以上に脆かった。
約束していたこともあり、朝食の前にロイがどこかに電話をかけてくれた。その相手は、と言えば、ロイが出かける直前にやってきた。おそらく、余程急いでくれたのだろう。額には汗が浮かんでいるし、息が切れた状態での登場だった。
驚いたのは、その姿だった。ロイに似た人間がこうして目の前にいるのだから、他の人間がいても不思議ではない。承知はしていたが、思わず目を見開いて見てしまった。
――――なにしろ、そのひとはジャンと瓜二つで、彼の名前もやはりジャンといった。どうやら、同じ顔をした人間が両方の世界にそれぞれいる場合、基本的に名前も同一という法則でもあるらしい。
その後、ロイはすぐに出かけてジャンと二人で屋敷に残った。そうして、しげしげとジャンはエドワードを義手を見つめている。
だが、暫くすると深く大仰なため息をついた。いかにもお手上げ、と言わんばかりだ。
「悪ぃ。今すぐオレが直せるもんじゃねえわ、これ」
「そっか。まぁ、仕方ないよな」
初めて見るのだろう義手をすぐ直せるとは自分も思っていなかったし、本気で申し訳なさそうに言われて思わず苦笑した。ジャンにしてみれば『義手が壊れたらしいから直してやってくれ』程度のことしか言われておらず、来てみれば見たこともない義手だったのだから無理もない。
「ネジとか、すげぇ特徴的なのな。人工皮膚も良くできてる。特注で作ったのか?」
「うん。そんなとこ」
問われて頷く。ジャンはしばらく感心しながら見ていたが、やがて申し訳なさそうに言葉を紡いだ。
「悪いんだけど、持ってかえっちまったらやべぇかな、この義手」
「そりゃ、良いけど」
持って帰る、ということは少しは治る見込みもある、ということだろう。それは勿論、エドワードにとってありがたい話だ。もっとも無駄に終わって結局父の帰りを待つしかない、という可能性も高いが。
「師匠なら、多分直せると思うんだ。あの人すっげぇ器用だからさ。ネジとかもちゃんと作れると思う。……俺は、まだまだ修行中でさ」
「そうなんだ」
頷きながらも、ジャンが師匠、なんて単語を使うのが奇妙だな、と思う。自分の知るジャンは軍人でしかなかったから、これは仕方のないことだろう。
もっとも、これがジャンではなく、ケインだったら納得したかもしれない。自分の知る限り、ジャンという人は特別手先が器用、というタイプではなかったし、こちらの世界のジャンも残念ながら同じなのだろう。
「悪いな。なるべく早く直してもらうからさ」
「ん。期待して待っとくよ」
義手のスペアがあれば良いのだが、あいにくそんなものは今、存在しなかった。壊れやすいから用意しなければ、と思ってはいたが、それよりも書物を読むことばかり優先していた自分が悪い。父親もエドワードが言わなければ、まだまだ大丈夫だろうと思っても無理のない話だ。
しばらくは不便だが、片腕だけで生活しなくてはいけない。それでも、足が動くならなんとかなる。せめて、足だけはこれ以上悪くならないように丁寧に扱おう、と心に決めた。
「しかし、良くこんなの作れたなぁ。俺が知ってるどの義手よりも良い出来だぜ、これ」
言われて苦笑した。機械鎧を基礎的にはモデルにしているから、こちらの世界の義手よりは確かに出来は良いだろう。機械鎧に関してだけは、遙かにあちらの世界の方が進んだ技術を持っている。
「んじゃ、外すな」
「ん」
エドワードが頷くとジャンはエドワードの腕に手を伸ばす。ベルトで固定する形の義手はすぐに外れた。
ジャンは再度、義手をしみじみと感心した様子で見ていたが、やがて全く関係のないことを口にした。
「そーいや、お前この家に住むんだって?」
ロイが彼を呼ぶときにそんなことまで話していたらしい。確かに、自分の居場所が分からなければジャンとしても直した義手を渡せないわけだから知っていて当然ではあるのだが。
「……この腕が治るまでな」
事実を告げると、ジャンは目を見開いた。
「良く大佐が許したな」
どうやらジャンはロイのことを大佐、と呼んでいるらしい。あまりにもそのままの口調だったから、つい笑みが口元に浮かんだ。ジャンが軍服を着ていないことがいっそ不思議に思えてくる。
「その大佐がここにいろって言うんだから許すもなにもないっての」
「あの人、つきあってる女だってこの屋敷には連れてこないのにな。よっぽど気に入られてんだなぁ、お前」
それは初耳だった。自分はロイと会話を交わすようになって、割とすぐにこの屋敷へと招かれた記憶がある。
本を探している、と言ったら、なら来ると良い、とひどくあっさりと彼は言ったのだ。その後かなり頻繁に訪ねたが、彼が嫌な顔をしたことはなかったような気がする。もとも、この屋敷に通った結果、ロイと肉体関係を持つことになってしまったわけだが。
「気に入った、っていうか。なんつーか、多分、珍しいんじゃねぇかな、オレみたいなのが」
そう、きっと珍しいのだ。自分のような存在が。あちらの世界のロイも、だから自分に手を出したのだろう。
(そーいや、あいつも最初は強引だったよな)
嫌なことを思い出して、顔をしかめた。こちらのロイと同様、あちらのロイも初めての時はかなり強引だった。嫌だとかやめろとか、散々言ったのにやめてはくれなかった。両手を縛られ、抵抗を封じ込めて彼は自分を抱いた。
ひどいことをされている、という実感はあるのに、悔しいとも思うのに、それでも尚、彼が好きだと思う自分がいたことを覚えている。
「珍しいって、何が」
「え。だから、この身体とかさ」
アメストリスならばエドワードの年齢で機械鎧を使用していることはともかく、身体の欠損など珍しくもない。だが、この世界ではまだ圧倒的少数だろう。
「んー、まぁ、そりゃ一般的には珍しいかもしれねーけど、少なくともあの人がそれを理由にこの屋敷に住まわせるとは思えねぇなぁ」
しきりに首を捻り、そう告げる。きっと相当ロイと親しいのだろう。そうでなければとても言えないだろう台詞だった。こちらでは部下でもないのに、それでも縁は存在している。
「んじゃ、気まぐれだろ」
女たちは家に連れてこなかったのは、女の場合はそれによって面倒を引き起こす可能性があるからだろう。少なくとも、女によっては結婚を夢見る可能性がある。だが、エドワードの場合その可能性は皆無だ。妊娠の可能性もない。気まぐれに手を出すには丁度良い存在だったに違いない。
「それも違うと思うけど、まぁ俺が言っても仕方ねぇか。とりあえずさ、色々難しい人かもしんねぇけど、お前にとっては悪い人間じゃないと思うぜ」
「……俺以外にとっては悪い人間なのかよ?」
というか、自分にとっても『良い人間』というには些か彼は難しい。確かに、彼のおかげで書物も読めるし、こうしてジャンに会い、もしかしたら義手も直してもらえるかもしれない。だから、確かに単純に悪い、と言える人間ではないが。
「そりゃ、誰にとっても良い人間ならあの年齢で大佐は無理だろ。いくら家柄がご立派でも」
それは非常にわかりやすい言葉だったので、力なく頷いた。確かにそれはその通りだ。人が良いだけで大佐になれるなら誰も苦労しない。
「お前のこと、きっとすごい大事なんだと思うぜ」
にっこり、と。邪気のない笑顔で告げられて返答に窮した。
「……。とりあえず、あんたがすごく良い人間、ってのは分かった」
悩んだ挙げ句の言葉に、ジャンが照れた様子で笑う。
「何言ってんだよ、大将」
その呼び方が懐かしい。あちらのジャンも、そう自分を呼んでいた。
(……そうやって、オレは絶対にあちらの世界を引きずらずにはいられないんだな)
そんな自分の思考に、自嘲するしかない。
目の前にいるジャンと話しているのに、あちらの世界の事ばかり考える。それはジャンに対してとても失礼なことだろう。
帰りたい、帰りたいと。そればかり思う身勝手さに我ながら辟易した。ロイよりも、自分の方が余程傲慢だ。
「……? どうかしたのか?」
急に黙り込んだエドワードを心配したのか、気遣わしげにそう問われ、首を横に振った。
「いや。なんでもない」
だが、それでも思わずにはいられないのだ。帰りたい、と。だから、自分は足掻き続ける。
けれどまだ、帰り道は見つかりそうになかった。
