夢寐の楽園
6
翌日、ロイがやって来ることはなかった。そのことに、内心エドワードは安堵する。彼がやって来たとしても、どんな顔をして逢えばいいのかわからない。
家に戻るなり部屋に籠もったエドワードをアルフォンスは心配していたが、理由など言えるはずもない。
朝もアルフォンスは散々心配していたが、何でもないと笑った。実際、こうして仕事は問題なくこなせている。
このままロイに逢わなければ、すぐに記憶は風化するだろう。そうすれば、アルフォンスが心配することもなくなるはずだ。
そんなことを思いながら、黙々と仕事していると、上機嫌のラングが現れた。
「ありがとう、すまなかったね」
突然そう切り出され、なんの話かと首を傾げた。
「今、マスタング君から電話があったよ。仕事を受けてくれるとね」
「え」
昨日の時点では、確かに興味などあまりなさそうだったというのに、今日になって突然、仕事をする気になったのだろうか。けれど、何故。
「君のおかげで、良い夢を作れそうだ。本当に、ありがとう」
礼を言われても、エドワードはなにもしていない。
彼を説得したことは一度もなかった。ロイが姿を見せ、あれこれと誘われては断り、昨日だけは映画を見ることを了承した。それだけだ。
あの後。エドワードが去った後、何をロイは考えたのだろう。真剣に台本を読み、この映画に出たい、と思ったのだろうか。
(それなら良いけど)
もしもそうだとしたら、おそらく一番良いことだろう。まるで子どものように喜ぶラングを見ていると、余計にそう思う。
「オレはなにもしてねぇけど、とにかくあいつが引き受けて良かったな」
微笑み、言った。ラングは夢を織る。きっとその夢に、人々は魅了されるのだろう。いつだったか、ノーアが言った。
――――夢は、見たいわ。
人間はいつだって、現実を生きている。けれど、夢を見ずにはいられない。その夢を。美しく甘美な夢を、ラングは織る。
「ありがとう。……ところで眼が赤いが、眠れなかったのかね?」
「あー、まぁ、少し」
嘘だった。実際は一睡もできなかった。何を考えたら良いのかわからないまま、一晩中、とりとめもなく考えていた。そうして、気付けば朝になっていたのだ。
「それは良くないな。今日はもう良いから、帰って少し眠ると良い」
「けど」
「休みたまえ。わかったね」
言いたいことだけ言って、ラングはどこかに行ってしまった。軽くため息をつく。エドワードが何を言ったところで、雇い主であるラングがああ言った以上、周囲の人間もエドワードに仕事はさせられないだろう。大人しく家に帰るのが得策らしい。
仕方なく、周囲の人間に挨拶し、帰る旨を伝えるとそれぞれ頷いた。元々、エドワードでは対したことができるわけでもないから、休まれて困る、ということもない。
歩き出し、このまま真っ直ぐ帰らずに買い物にでも行こうか、とも思う。
そろそろ食料を買い出しした方が良いはずだ。普段はアルフォンスが学校帰りなどにやってくれているが、そんなに時間を取るわけでもないし、それくらいは早く家に帰れるのだからやっても良いだろう。
(ジャガイモと、塩と。あと何が足りなかったかな)
ぼんやりと考えながら歩を進める。だから気付くのに少し、時間がかかった。
――そう。気がついたら、ロイが目の前にいた。
少し先には彼の車が見える。どうやら、待ち伏せされていたらしい、とやっと悟った。
「……っ」
どうして良いのかわからず、息を飲む。それから、慌てて引き返し、走り去ろうとした。けれど、走り去る前に彼の腕に捕まった。
「今日は逃がさない」
「離せよ……っ」
暴れたが、今日は本気で逃がす気などないらしい。ひどく強い力だった。
「離せってば!」
それでも、エドワードがその気になればその腕から逃げることは可能だ。機械鎧の腕は人間の腕力など比べものにならない。戦闘に慣れた軍人ならばまた話は別だが、目の前の男は違う。ただし、その場合は相手に怪我をさせる可能性も少なからずあった。
その可能性を恐れ、エドワードは抵抗を弱める。別に、彼を傷つけたいわけではなかった。
「頼むから、離してくれ」
「断る」
即答だった。嫌になるほど、はっきりと彼は言った。
「昨日は逃がした。だから今日は逃がさない」
わけのわからない理論だが、ロイの口調と顔は大真面目だ。がっちりと腕を握られている。
「分かったよ。……逃げないから、離せ」
暫く迷ったが、結局折れた。
ロイが仕事を引き受けた以上、これからは彼と会う機会も当然増えるだろう。
そうなれば、今逃げたところで、ロイがその気になればいくらでも自分を捕まえることは可能になる。そのたびに、こんなやりとりをするのはごめんだった。
「誓うかい?」
「誓う。だから、離せ」
確認するように問われ、頷く。するとやっと腕が自由になった。
「ここでは落ち着いて話もできない。車に乗りなさい」
命令口調で言われ、少しむかついたが黙って従った。実際、何事か、とでも言いたげな人々の視線が何とも居心地が悪い。
「どこに行くんだ?」
「私の家に。立ち聞きするような使用人などいないから、安心して良い」
あまり行きたい場所では無かったが、代案も思いつかない。仕方なくもう一度頷いた。どんな会話になるかわからないから、聞く人間は少ない方が良いのは確かだった。
「眼が赤いな。寝てないのか」
暫く互いに黙っていたが、不意にそう尋ねられる。そんなにも、自分の目は赤くなっているのかと少し恥ずかしくなった。
「あんまり。……色々、考えてたからな」
「なら、少し眠ると良い。到着したら起こすよ」
優しげな言葉だが、彼の前で無防備にはなれない。微かに首を振った。
「別に平気だって。昔は徹夜も結構やったし」
その代わり、徹夜した後で十時間以上睡眠を取ることも良くあったが、これは別に言わなくても良いだろう。
「昔か。それは赤いコートに、黒の上下。髪型は三つ編み姿で間違いないのかな」
数年前の服装を言い当てられ、彼を見つめた。間違いない。それは確かに、自分だった。
「……それも、夢かよ」
「夢だとも。君に逢う前から、時々君が出てくる夢を見ていた。今思えば、だから君を実際見て『見つけた』と思ったんだろうな」
では、それは既視感ではなかった、ということになる。
普通なら、単なる夢などすぐに忘れてしまうだろう。実際、エドワードに現実で逢ってからも、しばらくロイは夢のことなど思い出さなかった。
けれど『時々』、『出てくる夢を見ていた』と言うからには、数度自分が出てくる夢を彼は見ていて、だからおぼろげにだけ、記憶は存在していたのだろう。
そうして、その記憶があるからこそ、実際に自分と出会い、彼は自分に興味を覚えた。
「君は私に向かって『タイサ』と呼びかけていた」
「良く覚えてんな」
思わず目を見張った。夢の中の台詞を、良くもそんなに思い出せるものだと感心する。それも、今まで忘れていたというのに。
「夢の中でも特に、……印象的だったからね。君の金の瞳が潤む様を、君の金の髪を指に絡めながら私は満足気味に見ていた」
そこまで言われれば、どんな場面なのかは嫌でも想像がつく。赤面して口を閉じ、窓の外を見た。
ロイもそれ以上はこの場で言うつもりもないらしい。その後は黙って運転に専念した。
車はひたすらに走る。前へ、前へと。
ふと、自分はちゃんと前を歩いているだろうか、と思った。立って歩けと。前へ進めと、そう言ったのは、他でもなくかつての自分だと言うのに。
自嘲が口元に浮かんだ。
(進めてなんか、ない)
少しも、自分は進めていない。だからこそ、自分はあの男の面影を探していたのだと、もう分かっていた。
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