夢寐の楽園





 頼みがある、と物々しくラングから告げられたのはその日の夕食時でのことだった。
「何だよ、突然?」
 少しばかり神妙なその様子に、ナイフを動かす手を止めた。アルフォンスも何事だろう、という表情をしている。
「是非、今度の映画で使いたい役者がいるのだよ」
「それで?」
 この男は映画馬鹿だ。それは確かなことで、エドワードもアルフォンスも良く知っている。そして自分たちは、その映画馬鹿の世話になって生きているのが現状であることも。
 縁とは不思議なものだ。あの世界、――アメストリスではホムンクルスであり、大総統であった男にラングは酷似している。おそらく、正確にはホムンクルスの元になった人間に。
 この世界で、彼の存在はエドワードにとって恩人、と言うべきなのだろう。実際、感謝してもしたりないだけのことをしてもらっている。
 この世界にアルフォンスと二人、自分は残った。残ったからには生きていかなければならない。
 けれど、自分はこの世界ではあまりにも無力な存在だ。錬金術は存在しないも同然だし、職に就いていたわけでもない。つまり生活能力がないも同然という有様だった。
 それまでは父親がそれなりにこの世界に適応してくれ、行方不明になってからもまとまった金銭だけは置いていってくれていたから生活できていたものの、それももうすぐ尽きようとしていたころ、ラングから連絡があった。
 内容は単純。彼の仕事を手伝って欲しい、という言葉。
 それは以前も聞いたことがあったが、まさか本気だったとは、とその時はひどく驚いた。けれど、それは確かに、エドワードにとってこの上なくありがたい言葉だった。世間は不況の波が押し寄せ、仕事はますます探しても見つからないのが眼に見ている状況だったのだから。
 悩まなかった、と言えば嘘になる。自分とアルフォンスは、ウラニウムを探す旅に出なくてはいけない。だが、その資金もないのだから笑うしかない状況だった。結局、とりあえず食事を、とラングに誘われ、その日のうちにエドワードは彼の仕事手伝うことを承諾した。実際の所、その条件は自分たちに有利すぎて、ラングが何か企んでいるのではないか、と思ったほどだ。
一年間、自分たちは取りあえず彼の保護を受ける。その間、エドワードはラングの手伝いをする。給金が出る上、アルフォンスの学費も彼は出すと言った。更にエドワードも大学に行きたいならば学費を出すと言われたが、さすがにこれは断った。
 そうしてその後は、自分たちの望む通り、ウラニウムを探せば良い、とラングは言った。資金が足りなくなったら、また一年間、自分の元で暮らせば良いと。
 あまりにも良すぎる条件に、最初はアルフォンスと二人、顔を見合わせるしかなかった。何しろ、ラングにはほとんど利点がない。エドワード一人が彼の元で働いたところで、そこまでの利益があるとは思えなかった。
 けれど彼は熱心だった。困っていたのも事実だし、結局、ラングの好意に甘えることになり、――――そうして今、自分たちはアメリカ合衆国にいる。
 この国に来てからまだ日はあまり経過していない。自由の国で映画が作りたい、とラングが希望したから、とりあえずついてきた、というのが現状だった。できれば仕事と平行してウラニウムの情報も集めたかったし、それならば色々な場所に行けるのは歓迎すべきことだった。
 そうして、慣れないながらもラングの仕事を手伝う日々を送っていたわけだが、頼みがある、と改めて言われるとさすがに一体どんな用件なのかと思わずにはいられない。
 だが、どんな難問だろうと思っていたが、彼の話は次の通りだった。
 次回に撮りたい映画で、是非使いたい役者を見つけた。けれど、彼に話を持ちかけてもすげなく断られた。
 実に単純な話だ。ラングはドイツでは有名だが、アメリカでは一部の人間のみに知られた存在だろう。そんな彼の映画に出たくはない、という役者がいても不思議ではなかった。
「ところがだ。今日、彼から電話があった。エドワード・エルリックと会わせて欲しい、話がしたい、とね」
「……は?」
 話が見えなくてぽかん、と間抜け気味に口をあける。何故そこで、自分の名が出てくるのだろう。
「兄さんと会いたいって、その役者さんが名指しで言ったんですか?」
 無論アルフォンスも同じ疑問を持ったらしい。尋ねると、ラングは頷いた。
「はっきりと名を告げたそうだよ。その条件を飲んでくれるなら、映画について話を聞いても良い、とね」
「わけわかんねぇ」
 思わず呟く。役者に知り合いなどいない。特に、アメリカには渡ったばかりだ。知人などいないに等しい。自分の名前だって、この国の人間はほとんど知らないはずだ。
 そこまで考えて、一つの可能性に行き着く。まさか、と思った。
(……考えたく、ねぇ)
「兄さん、心当たりあるの?」
 無邪気にアルフォンスが尋ねる。エドワードは小さくため息をついた。
「あるような、ないような。っていうかあると思いたくねぇ、って言うか」
「……あるんだね」
 聡い弟はぼんやりと何かを悟ったらしい。聡明なのは良いことだが、隠し事ができなくて困る。
(それにしても)
 そう、それにしても。随分と偉そうな役者であることは間違いない。映画に出ることを考えても良い、ではなく、話を聞いても良い、とは。
(ってことは、違うのか?)
 もし自分が思い浮かべている人物だとしたら、いくら自分が映画に疎いとしても、最低限名前くらいは聞いているはずだ。だが、この世界でその名を聞いたことなどなかった。昼間会うまでは、もう一生聞くことはないだろうと思っていた名だ。間違いない。
「そいつ、そんなにお偉い役者なのか?」
「いいや。役者としては無名に近いな」
 穏やかな微笑を称え、ラングは言った。その言葉に、再び可能性という名の嫌な予感がエドワードの前にちらついた。
「仕事を相当選ぶらしくてね。今は仕事をしたくないと即答されたよ」
 だが、と彼は続ける。瞳は真剣だった。
「だが、あの役は彼しか今のところ考えられない。是非、私としては彼を使いたいと思っているんだよ」
 ここまで言われれば頼み事は嫌でも分かる。つまり、自分にその役者と会って欲しい、というわけだ。その男の望み通りに。
「無論、君がどうしても気が進まないというのなら無理にとは言わんよ」
 どこまでも紳士的なものいいだった。
 この男は、そうやって下手に出た方がエドワードが頷きやすい、と知っているのかもしれない。
 そもそも、恩義がありすぎる相手だ。アメリカでの住居も無論彼が用意してくれたし、戸籍などもどんな手を使ったのか用意してくれていた。そんな相手の頼み事をエドワードに断ることなどできるはずもない。
 それも用件は役者に会って欲しい、という、ただそれだけのことだ。殺人を依頼されたならともかく、その程度のことを嫌だ、などと誰が言えるだろうか。
「良いよ。分かった。いつ行けば良いんだ?」
「いつでも良いそうだ。連絡先は聞いてある。明日にでも、伝えよう。申し訳ないが、君から電話が直接欲しいとのことでな」
 ラングの言葉に分かった、と頷く。そうしてナイフを再び動かし、肉片を口の中に放り込んだ。
 上質の肉は、柔らかくて実に美味い。値段もさぞすることだろう。けれど支払うのは自分たちではなく、目の前の男だ。自分たちだけなら、決してこんな高級なレストランに来たりはしない。ラングはおそらく相場よりも高い給金を自分に寄越してきているが、貴重な旅の資金だからなるべく節約する日々だった。アルフォンスも、特にそれに対して不満をぶつけてきたことはない。
(つーか、すげぇお人好しだよなぁ)
 しみじみエドワードとしてはそう思う。そもそも自分と出会ったきっかけだって、人によっては激怒するだろう。
 けれど彼は笑って運転手兼ボディーガードを、と言ってきた。度量が広いのか、鷹揚なのか、馬鹿なのか。その全てなのかもしれない。
 しかも最初はキング・ブラッドレイと同じような年齢かと思っていたが、驚くことにまだ三十代と最近知って更に驚いた。特別、ボランティアが好きなようにも見えないが、ラング曰く『君たちは実に興味深い』、ということになるらしい。実際、彼はエドワードやアルフォンスの旅を聞くのも好きらしく、あれこれと良く聞かれた。
 こうして食事を三人でしているのも、ラングから言い出したことだ。彼と食事をするのは初めてではなく、元々人見知りをしないアルフォンスはそれなりにラングと馴染んでいた。
「本当にすまないね」
 ねぎらいの言葉を告げられ、苦笑する。もっと威圧的な態度の人間であったなら、エドワードも反発したかもしれない。だが、彼はどこまでも穏やかだった。
「構わない。たいしたことじゃないしな」
「そう言ってくれるとありがたい」
 そうして、今度の話題はアルフォンスの学校生活へと映り、穏やかな時間を過ごした。
 アルフォンスは真っ直ぐに育っている。それがとても、エドワードには嬉しい。ただ、少し気になるのはここ半年の間にぐんぐんとアルフォンスの背が伸びていることだ。このままでは近いうちに抜かされてしまうかもしれない。
 兄の威厳が、と思うが、これはきっと言ってもアルフォンスは笑って何言ってるの、とでも返すだけだろう。弟の成長は嬉しいが、唯一素直に喜べない現実と言えるかもしれない。
「毎日、楽しいです」
 笑ってアルフォンスは言う。嬉しそうなその笑顔。
 その様子を見て、また嬉しくなった。今も、彼をこの世界に結果的に連れてきてしまった、その罪悪感はあるけれど。
 けれど、彼がいるからこそ、自分はこの世界でこうして生きていけるのかもしれない、とも思う。
 この世界で生きていく、と自分は決めた。
 例え元の世界に。アメストリスに戻れなくても、この場所が、自分たちの世界なのだと。

 ――――――迷いはもう、なかった。



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