夢寐の楽園







10


 ごそり、と彼が身じろぎした感触で眼が冷めた。
 目の前に見えるのは、豪奢なシャンデリア。すぐにその場所がどこだか思い出した。
(ああ、そっか)
 納得して、苦笑する。随分、自分という人間はあっけない。こんなにも、単純な人間だっただろうか。
 エドワードを抱きしめる形で、男は良く眠っている。
(満足そうな面、しやがって)
 それが癪で、それから少し、照れくさかった。そんな表情で眠らせている原因は、紛れもなく自分だ。
(けど、本当に良かったのかな)
 迷いはないと思っていた。けれど、それはいつでも嘘だった。いつだって、自分は迷っている。迷いながら、生きている。
 後悔も、やはりするのだろう。もしも、彼の言うとおり後悔すらも分かち合えるのなら、それも甘いと、そう思うのかもしれないけれど。
 遠い、今では夢ですら滅多に見ることのないあの世界で自分は恋をした。初めての恋だった。
 今はこの世界で、また自分は恋をしようとしている。否、それはもう始まってしまった。
 この恋の行く末を、自分は知らない。それでも、自分は選んでしまった。
 あの男を忘れることはできないだろう。それほどまでに、鮮やかな男だった。忘れないまま、自分は良く似た、けれど別の男に恋をする。
 手を伸ばし、男の頬に触れた。眠っている間に伸びたのだろう、微かな髭の感触。なんとなく、そんな当たり前の事実を微笑ましく思った。
 そのまま指を唇へと移動させようとして、けれど失敗する。ロイが目を見開き、悪戯っぽく微笑みながらエドワードの指を握った。
「起きてたのかよ」
「今、君が触れたから起きたんだよ。……おはよう」
「なんだ、起こしちまったのか。悪ぃ」
 謝罪の言葉を口にすると、ロイは柔らかく微笑んだ。ひどく、幸福そうに。
「構わないとも。現実の君を抱きしめて起きるなんて、最高の贅沢だ。夢の中の君は、あまりにも遠いからな」
「……もう、そんな夢なんか見ないだろ」
 彼はアメストリスのロイを通して、自分の夢を見た。けれど、彼の側にもう自分はいない。見るとしたら、その時は彼の傍らに、新しい恋人がいる夢だろう。
 そう思うと、胸が痛んだ。目の前の男に恋しているくせに、まだ自分は彼のことも忘れられない。
 彼を忘れるには。さようなら、と。そう告げるには、まだ時間がかかりそうだった。
「そうだろうな。……あぁ、そんな顔はしないでくれ」
 緩く、ロイがエドワードを抱きしめる。
「無理に忘れろとは言わない。今は、身代わりでも良い。だから、私が君だけを見ていることを忘れないでくれないか」
「……忘れさせてくれるような玉かよ、あんたが」
「あぁ、それは確かに」
 くすくすと互いに笑った。心がひどく穏やかで、そして幸福だと思った。
「そういえばさ。なんで、仕事を引き受けたんだ?」
 ふと思い出し、ロイに尋ねると、あぁ、と彼はつまらなさそうに口を開いた。
「あの男は軍人で、仕事も最低限はしている様子だったからな。対抗意識で、少しは真面目に仕事をしようかと思ってね」
 思わず、ぽかんとして彼を見つめる。
「なにそれ。そんな理由で、映画に出る気なのか、あんたは」
「暇つぶしよりも、余程有意義な理由だと思うが」
 断言されたが、そうだろうか、と思う。五分五分というか、どちらもどうしようもないというか。
「それに、良い演技をして見せたら、君は私に惚れぬくかもしれないだろう?」
「……あんたって、本当にしょーもない男だな」
 その自信や思考はどこから来るのかエドワードにはひたすら謎だった。
 だが、それもこの男らしい、と思うべきなのだろう。
「まぁ、期待してやるよ。ラングのおっさんも、相当あんたを買ってたしな」
「ラング氏の期待はどうでもいいが、君の期待にはこたえられるよう努力するよ」
「…………。あんた、オレの期待にこたえる前に誰かに刺されるような気がしてきた」
 軽く目眩を感じた。傲慢なのがこの男だ、と知ってはいるが、もう少し謙虚という言葉を学ぶべきだろう。ラングなら笑ってすませるだろうが、他の人間ならば本気で怒り出しかねない。
「その心配は必要ない。運動神経は悪くないし、愚昧な人間に刺されるような人生を歩むつもりもないからね」
「……」
 自信満々の返答に、二の句が継げなかった。なんとも幸福な人間だ。
「そういえば、役を引き受けると言ったら、ラング氏に言われたよ」
「……何を?」
「共に、楽園のような夢を織り上げよう、とね」
 幸福に満ちた夢。ラングならきっと、鮮麗であり、幻想的な夢を織り上げるのだろう。そんな、楽園という名の夢を。その為に、彼はこの自由の国へとやって来た。
「だが、私にしてみればこの現実こそが楽園だ。こうして、君が私の腕の中にいる」
 つまり言いたいことはそこだったらしい。どこまでも気障な男だ。
「安い楽園だな」
 微笑して答えると、彼は真面目な表情を浮かべて言った。
「いいや。貴重で、尊い楽園だよ。夢の中のあの男には、もう得られない楽園だ」
 その言葉に目を伏せた。ロイはエドワードを抱きしめる腕に力を込める。
「今度は、あの男が夢を見るのかもしれないな。この世界の、私たちの夢を。……彼にとっての、楽園の夢を」
 それはとても残酷な台詞だった。彼が傲慢であり、幸福だからこそ言える、どうしようもなく残酷な台詞。
 できるなら、そんな夢をあの男が見なければ良いと思った。そんな夢を見ないほど。或いは、夢を見ても忘れてしまうほど、彼が幸福になれば良い。あの暗い瞳を和らげるような、そんな幸福が。
「……あぁ、見てごらん。楽園に朝日が昇る」
 どこまでも芝居じみた台詞でロイが告げる。その台詞をこそばゆく思いつつ窓を見れば、確かに朝日が昇っていた。
 窓から、鮮やかな光が漏れる。
 
その光景を、エドワードはじっと見つめた。尊く、幸福な。




 ――――――――その、楽園の風景を。











そして夢が終わり、今日が始まる。







END




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