真夜中の太陽
 

 目の前には、雲一つない青空。
 大の字になって寝そべり、ぼんやりとエドワードはその青一色を見ていた。
 そよ、と優しい風が吹く。今はとても良い時期だ。日差しは強すぎず、風が冷たすぎることもない。昼寝するには丁度良い、そんな季節だった。
 のんびりするのは性に合わないが、その空気はどこか、懐かしい故郷を思い出させた。
 幼い頃は疲れるまで遊んで、そして疲れたら寝転がり、場合によってはそのまま眠っていた。そんな日が、当たり前に存在していた。
 それはもう、あまりにも遠い夢の残像だ。
 あの頃は毎日が幸福で幸福で。そんな日が毎日続くと、無意識に信じていた。なんて愚かで、至福の時代であったことだろう。
 空はどこまでも青い。心地良い風に頬を撫でられ、そのままだんだん眠たくなってきた。この場所、――つまり東方司令部にやって来たのは書類提出の為で、今までろくに眠っていなかった。
 書類を書いている最中は眠さを感じる余裕もないが、提出し、その結果を待っている今、急に睡魔が襲ってくる。
(やべぇ)
 そう思いはいるが、瞼は重くなるばかり。気がつけば、完全に意識を失っていた。
 夢の中、母が笑う。そんな夢を見た。
 泣きたくなるほど綺麗で優しく、そしてどこまでも残酷な夢だった。


                 ◇ ■ ◇


「……しょ……」
 とこかで、声が聞こえた。誰の声だろう、と思う。聞き覚えがあった。
 男の声だ。少し低く、優しげな声。嫌いな声じゃない、と思った。
「い、……う……!」
 何を言っているんだろう。まるで自分に呼びかけているかのような声だ。その人物は、ぼやけていて自分にはよくわからない。人の形をしているが、あまりにもあやふやだった。その『誰か』が自分に向けて手を伸ばす。
 どうしよう、と思った。
 自分はその手に、触れて良いのだろうか。『誰か』は自分をどうするつもりなのだろう。何のために、手を伸ばしている、というのか。
 どうしようもなく、躊躇する自分がいた。手を伸ばしたい、と思う。けれど伸ばすべきではない、とも思った。
 躊躇しているうちに、『誰か』は笑った、……ような気がした。
 ――――その瞬間だった。
「大将!」
 大きな声で呼ばれ、驚いて目を見開いた。その瞬間、ようやくエドワードはその『誰か』がジャンであることを知った。
「あれ、少尉……?」
 ごしごしと目元を擦りつつ、彼を呼ぶ。きょろきょろと周囲を見回して、今は夕方だと知った。
「あれ、じゃないっスよ、大将」
 ため息と苦笑を織り交ぜた調子でジャンに言われたが、まだ半分寝ぼけていたから現実との距離感が掴めない。先ほどまで自分はリゼンブールにいて、アルフォンスと二人であの懐かしい田舎道を走り、そして母親の元へと……、そこまで考えて、ようやく随分と都合の良い夢を見ていた、という事実に思い至った。
 どうやら自分は数時間、ここで眠ってしまったらしい。
「少尉、なんでここに?」
 あまり深い意味もなく尋ねる。自分が眠っていたのは東方司令部の敷地内だ。田舎だけあって、東方司令部はそこそこ広い。雑草がほど良く茂った場所があり、たまたまそこにエドワードは寝ころんでいた、というわけだ。つまりここはジャンの仕事場の一角であるわけで、彼がいてもさほど不思議でもない。
「恐れ多くも大将探しを大佐に命じられたんで、任務を遂行しに」
「……えっ?」
 冗談めかして仰々しく言われてひどく驚く。
 だが、数秒後にそれが当然、という事実を思い出した。
「……大佐、どんなカンジ?」
 答えを半ば知りながら、ジャンに恐る恐る尋ねる。
 そもそも、先述の通り自分は書類提出のためにこの場所に来た。
 けれど、その提出すべき相手は、――つまりロイ・マスタングは非常に多忙だった。けれど、提出して、『はい、さようなら』というわけにもいかない。内容を確認して印をもらい、更にその書類を中央へ送ってもらわねばならない。
 突然訪ねた方が悪いから、『今日の大佐は大層忙しい』のは、仕方のないことだ。彼はどちらかというと怠けたがりに見えるから、仕事したくてしているわけでもあるまい。とにかくどうにも仕事が多く、エドワードの書類をすぐに見ることは不可能、とのことだった。だが、なるべく急いで見てくれる予定だとリザに言われて、エドワードはこの場に戻り、ぶらぶらと東方司令部の敷地内を散歩していた。
……そう、散歩の予定だった。
「見た目は普通です。まぁちょっと嫌味とお小言をもらえば平気じゃないっスかね」
 ジャンの答えは想像通りのものだった。それはそうだろう。書類の確認を依頼した自分が一向に現れなければ、なんのつもりだ、と怒る人間がいてもおかしくない。しかも更にジャンに自分を迎えに来させているわけで、これは嫌味から逃れる方法などありはしなかった。
(アルに図書館なんか行かせるんじゃなかった……)
 後悔してももう遅い。アルフォンスとは軍に向かう途中、図書館で別れてしまった。
 彼がいれば、少なくともこの場所で何時間も眠る、などという失態はなかっただろうに。悔やんでも悔やみきれない。
(だいたい、天気と気候が良かったのがそもそも悪いんだよな)
 逆恨みというか八つ当たりに近い心境で、そんなことを思う。あまりにも綺麗な空で、心地良い風が吹いていて。ついでに地面は地面が見えず、草で覆われていて、大層寝転がったら気持ち良さそうだったのだ。……実際、ものすごく良くて、今に至るわけだが。
「大佐は今、暇になったわけ?」
 忙しいならば、あまり長時間拘束される可能性は高くない。だから否定の言葉を非常に期待してジャンに尋ねたが、あっさりと彼は頷く。
「そろそろ一段落ついた頃だと思うぜ」
「……そっか」
 残念、と思いきり顔に書きつつ、立ち上がる。では、嫌味に耐えなければならないらしい。自業自得と知りつつ、恨みがましい気分になった。
「まぁ確かに、今日は昼寝日和だったよな」
「だよなー。昨日あんまり寝てなかったから余計寝やすかったつーか」
 ジャンの言葉にうんうん、と頷いた。すると、ジャンは笑う。笑いながら、エドワードの頭を払った。
「大将、体中雑草だらけ」
「げ」
 ただ寝ころんでいただけだが、そう言われて慌ててコートを脱ぎ、手で叩く。これ以上、嫌味の要因など増やしたくはなかった。ジャンも手伝ってくれ、しばらく二人で懸命にエドワードの衣服を払う。
「ん、こんなもんかな。サンキュな、少尉」
「どういたしまして。んじゃ、行くか」
「ん」
 笑ってジャンは言い、エドワードは頷いた。そうして歩き出した彼の背中を追う。
 大きな背中だな、と思った。背も高くて、羨ましいことこの上ない。それから、夢の中の声はジャンだった、ということに遅れて気付く。聞き覚えがあったわけだ。当たり前だ。
 実際は夢の中の声、ではなく、ジャンが実際に自分を起こしていただけなのだから当然だが、少しだけくすぐったい気分になった。
(けど、何でオレ、手を伸ばして良いのか迷ったんだろうな?)
 おぼろげな姿ではあったけれど、あれはつまりジャンだったのだろう。夢が現実の声と重なって、彼が自分に手を伸ばした。
 そして自分は、どうしようかと戸惑った。そんな夢。
(まー、深く考えても意味ねぇか)
 そんなことを思いつつ、再度ジャンを見ると、彼は丁度口元の煙草に火を付けている最中だった。
 ジャンはかなり頻繁に煙草を吸う。出逢った頃から、そうだった。
「少尉」
「んー?」
 名を呼ぶと、ちら、と彼が自分を見た。優しげな、その微笑。その表情がとても好きだな、とエドワードはごく自然に思った。
「……煙草って、うまい?」
 そう尋ねたのは、とくに意味などなかった。ただ、ジャンがいつでも口にしているから、という程度の理由だ。
「んー、まぁな。俺の場合はクセみたいなもんだけど。何、大将、煙草に興味あんのか?」
 口元をにやりと曲げて言うジャンは、大人なのにどこか悪戯を企む子どものようだった。
「……まぁ、少しは」
 正確には、煙草ではなく、それをジャンがいつも吸う、その事実に興味があるというか、だから気になるというか。あまりにもいつも吸っているから、そんなにうまいのだろうか、と思っただけだ。ピナコがキセルを吸っているのを見てもそうは思わなかったのだから、実に不思議な話ではあるけれど。
「吸ってみるか?」
 ひょい、とそれまで自分の口元にあった煙草を示される。思わずこくりと頷いた。けれど、ジャンは頷くと思っていなかったのだろう。少し困った顔をした。
「……大将には、まだ早いっスよ」
 そして困った表情を浮かべたまま、そう告げてまた歩き出す。
「背ぇ、伸びなくなったら困るだろ?」
 そして誤魔化すように付け足された言葉に、頭で考えるより先に言葉が飛び出した。
「誰が背が伸びなくて困りきってる超ウルトラドチビかーっ!」
「いや、そこまで言ってねぇし」
 殴りかかろうとすると、笑いながら避けられる。その動きは実に洗練されている。こんな時、この柔和な表情を浮かべるこの男が軍人なのだ、というあたりまえの事実をエドワードは思い出す。煙草の臭いも、まるで硝煙を誤魔化すためのもののようだ。
「特別、うまいもんじゃねぇよ」
「けど、少尉はいっつも吸ってんじゃんか」
「俺はまぁ、中毒だからさ。けど、大将は違うわけだし、知らなくても問題ねぇって言うか、知らない方が良いって言うか」
 言いたいことは何となく分かるが、釈然としない。要は身体に良くないからやめておけ、と言いたいのだろう。
 自分は吸っているクセにと頬を思わずふくらませた。
「んな顔、すんなって」
 苦笑しながらジャンは煙草の煙を吐いた。ゆらりと煙がゆらめき、あかね色の空に混じって消えていく。
「大将はさ、真昼の太陽みたいなもんだからさ」
「……それ、どーいう意味で言ってんのかさっぱりわかんねぇんだけど」
褒めているのか、貶しているのか。それとも、意味などないのか。さっぱりわからないまま言うと、そうだな、とジャンは頷いた。
「俺も、具体的には説明できねぇけど。なんか、そう思うんだ。生命力溢れてっからかな。真夏の、元気に輝きまくる太陽ってーか」
「……少尉、やっぱり意味わかんねぇ」
「褒め言葉ってことだよ」
 言って、に、とジャンは笑う。意味は明確に掴めないままだが、その笑顔に何故か見とれてしまった。夕日のせいだろうか。ひどく、眩しく見えた。
「んじゃ、俺が真昼の太陽なら、きっと少尉は真夜中の太陽だな」
「なんだそりゃ。お前、俺より意味わかんねぇこと言ってるぞ」
 笑い続けるジャンの笑顔は、やはり眩しい。こんなにも暗くなりつつある空の下、彼の笑顔だけが、眩しい。
(やっぱ、太陽じゃんか)
 だから、こっそりとエドワードはそう思う。けれど言葉にするのは躊躇いがある。きっとそんなことを言えば、彼は更に笑うだろう。それは少し、悔しい気がした。
 とても、彼はエドワードにとって眩しい。
 それは月のような、そんな穏やかな光ではない。それは太陽だ。何よりも大きく、熱く、存在感のある。そんな太陽。真夜中だって、その存在感はきっと変わらない。
 煙草が吸い終わったジャンは、とりとめのないことをエドワードに尋ねた。会話をしながら、随分と彼に会っていなかったんだな、と思う。
「大将は今回はどれくらいここにいるつもりなんだ?」
「また決めてねぇけど、明日の夜か、明後日の朝くらいかな」
 おそらく、ロイは今日中に書類を寄越してくれるだろう。遅くても明日。そうなれば、もうこの町にしばらく用はない。ただし、特に今はめぼしい情報もないから明日は図書館で情報探しに徹する必要があるだろう。運が良ければ今日中にアルフォンスが有力な情報を得ているかも知れないが、そう簡単に見つかるはずもない。
「毎回、早ぇなぁ。少しはゆっくりしてきゃ良いだろうにさ」
「んな暇、ねぇし」
「だよな。大将は忙しい身の上だもんな。ま、大将に久々に会えただけでも良しとするか」
(……?)
 その言葉を少し、不思議に思った。思わず黙ってジャンを見上げると、困ったようにジャンが笑う。
「俺、ずっと大将に会いたいって思ってたんだ。だから会えて良かった、って話だよ」
 元気そうだしな、と言いながら、ぽん、ぽん、とジャンが軽くエドワードの頭を掌で叩く。いつもなら怒るべき行動なのに、そんな気にはならない。ひどく恥ずかしいような、嬉しいような、そんな不思議な感覚が支配した。
「……オレも」
 気付いたら、勝手に口を動かしている自分がいる。
「オレも、たぶん、少尉に会いたかった」
 たまにしか、会えない相手。けれど、会えるといつでもなんとなく、嬉しくなる。エドワードにとって、ジャンはそんな存在だった。
(……ちょっと待て、オレ)
 そこまで考えて、ふと歩みが止まった。
 それは、何故なのだろう。つきあいはあまり長くない。最初の印象は『背の高い、大佐の部下』でしかなかった。ただ、穏やかに笑う、その笑顔が好きで。たまに会えると、嬉しくて。
 ――――けれど、それは何故なのだろう。
「大将、どうかしたのか?」
 歩みを止めたエドワードを怪訝に思ったのだろう。ジャンが振り返り、尋ねた。そうしてまじまじとエドワードの顔を覗き込んでくる。
 真正面に、男の顔が見えた。自分と同じ、金の髪。飄々とした、けれど精悍といえる顔つき。
 ばく、と心臓が鳴った。
(オレ、もしかして)
 漠然と、呆然とその時になって初めてエドワードは気付く。
(もしかして)
「大将?」
 もう一度、ジャンはエドワードを呼び、首を傾げる。
「少尉。どうしよう」
「あ?」
「オレ、少尉のこと好きかもしれない」
 言ってから、思った。違う。
 しれない、ではない。自分はジャンのことが好き、なのだ。きっと、たぶん、絶対に。
 ジャンはぽかんとして自分を見ている。エドワードの言葉の意味がいまいち理解できていないのかもしれない。
「あー……」
 天を仰ぎながら、意味のないだろう声音をジャンは発した。言葉を探している様子だ。
「すげぇ、好きみたいだ。どうしよう」
 その様子を知りつつも、呆然とエドワードは言葉を重ねた。好き、という感情を今まで知らなかったわけでは無論ない。母親も、アルフォンスも大好きな家族だ。けれど、この感覚は家族とは違う。
 もっとなんというか、心が少し痛むような、けれど弾むような、なんとも説明の難しい、得体の知れない、つかみ所のない、その感情。
 けれど、その感情を意味する言葉は知っていた。それは今まで、実感したことなどなかったけれど。
 ――――けれど、今なら分かる。
 これは恋だ。
「なぁ、どうしよう、少尉」
 頭脳には多少の自信があったが、恋は未経験だし、そもそもする予定もなかった。だから余計に困惑した。どうしよう、どうしようとくりかえしジャンに尋ねる。本当に、どうして良いのかわからず、頭の中は真っ白だった。
「どうしようとオレに言われても。……オレも、困るって言うか、今、混乱してて」
 本当に、心底困り切った顔でジャンは言った。当たり前だ。彼も自分も男で、更に言うなら、ジャンは女が好きだ、という当たり前の事実も知っている。それなのに、自分に好きだと言われれば、それは困って当然だろう。
「……ごめん」
 とりあえず思い浮かぶのは、そんな謝罪の言葉。俯いて、どうにか声をだした。
「あぁ、いや、そうじゃなくて、ですね。大将。えっと」
 するとジャンはひどく慌てた様子で言った。それから息を深く吐いて、吸った。
「大将、上向いてください」
「上?」
 言われるまま、素直に顔を上げる。気がつくと、目の前にジャンの顔があった。眼の前すぎるほど、目の前に。
 驚いて目を見開いているうちに、柔らかい、暖かな何かが唇に触れる。
 身体は固まり、完全に反応することすら忘れていた。彼の煙草の臭いが鼻腔を掠める。それだけ間近にいて、そして今、唇が触れているんだ、とそこでようやく理解した。
 それはどれくらいの時間だっただろうか。
 やがて唇が離れた。ただ驚いて、彼を見上げる。相変わらず、ジャンは困ったような顔をしている。ついでに言えば、顔が赤い。ただ呆然と見ているとジャンの唇が動いた。
「俺も」
 と、その唇は動き、そしてそう音を発した。
(俺も、って、何が?)
 いつもは優秀さを誇る頭が回転せず、暫し悩む。けれど、結論はすぐに出た。それは勿論、エドワードの『好き』という言葉に対しての返答なのだと。
 どうしよう、とまた思った。
(すげ、嬉しい。やべぇ。どうしよう。すげぇ、嬉しい)
 どうしようどうしようどうしよう。
 無論、どうしようもなかった。お互い、見つめ合ってそれから目を反らして、また見つめ合って、という意味のないことを三度、繰り返した。
「……煙草の、臭いがした」
 何を言って良いのか分からなくて、なんとなくキスの時に思ったことを口にすると、ジャンはまた、困った様子で言った。
「嫌か?」
 その言葉をゆっくり二度、自分の中で繰り返した。
 嫌か。嫌か。
 解答は即座に導き出される。嫌なはずがなかった。
「少尉とキスしたんだなぁ、って実感した。……だから、うん、嫌じゃなくて、嬉しいかもしんない」
 正直な感想を口にすると、ジャンは絶句する。絶句してから、頭を軽く掻いた。
「……参った」
「え、何が?」
「溺れそうでやべぇって話。……しかも大将とじゃ、早々デートできそうにねぇしなぁ」
何故突然、溺れる、などというのだろう。ジャンは先ほどから良く分からないことを言うな、と思ったが、後半の言葉は理解できたのでそれは確かに、とどこか悠長に思った。
「でもオレ、少尉に会えるだけで嬉しいし」
「……俺も嬉しいのは嬉しいっスが、それだけですまないんで」
 どこか悲壮感を漂わせ、彼は言った。会えるだけで満足、ではいけないらしい。エドワードには良く分からないが、大人になると色々と難しいのかも知れない。
「けど、まぁ」
 気を取り直した様子で彼は笑う。その笑顔が、やっぱり好きだなと思った。そう思えることがとても幸福だな、とも。
「それは、おいおいってことで。……それより、そろそろ急がないと」
 ジャンは話をそらし、そして忘れたい現実を呼び覚ました。彼が自分を呼びに来てから、きっと相当時間が経過している。思い出してみれば、悠長に告白をしあっている場合ではなかった。
「やっべ!」
「走れ、大将」
 言うなり、ジャンが走り出す。慌ててエドワードも走った。近道なのだろう。建物内ではなく、外側をぐんぐんと彼は走る。
 迷う素振りがないのは知り尽くした敷地内だからか、それとも普段も走ることがあるからなのか。
 そんなことを考えながら、ジャンの背中を見つめた。それから、その両腕を。
 夢の中、自分は彼に手を差し伸べられた。けれど、自分は躊躇した。手を伸ばしたい。伸ばすべきではない。そう思った。
 少しだけ落ち着いた思惑の中、エドワードは思う。自分の気持ちを悟って、驚いて。思わず、彼に告げてしまったけれど、それは言うべきではなかったのかもしれない、と。
 好きで、会えれば嬉しくて。けれど、自分は恋なんてする暇などないのに。それなのに。
 今頃、少し後悔をした。本当は、伝えるべきではなかった。夢の中のように躊躇い、そして踏みとどまるべきだった。
 彼にとっても、きっとその方が良かったのに。
 けれどそんなエドワードの思考を読んだかのように、不意にジャンが振り返り、手を伸ばした。
 そして。
 そして、エドワードの手を取り、尚も走る。顔は笑っていた。とても幸福そうな笑みで見ているだけで自分まで幸福になる。泣きたくなった。
 どうしよう、とまた思った。
 泣きたいほど幸福なんて。そんなの、どうかしている。そう思うけれど、思えば思うほど、やはり幸福だと再度思った。
 尚も走りながら、幸福で、少しだけ何故だか切なくて、それが自分のしている恋なのだと知った。それはまだきっと未完成の、未熟な恋。これから、どうなるのかはわからない。たぶん、ジャンも知らないだろう。
(けど、きっと)
 きっと、後悔はしない。後悔なんて、できない。これはきっと、そんな恋だ。
 まるで彼のように。真夜中でさえ、輝くような。眩しくて鮮やかな、まさしく太陽のような、



 ――――そんな恋だと、思った。




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