※アニメ終了後、映画を見る前に書いた妄想炸裂小説です。
  
鏡世界――カガミセカイ――
                   

「もう二度と、あんたとは寝ない」 
 開口一番、そう彼は言った。起きたことに気付き、おはよう、と声をかけた返事としては相応しくない言葉だな、と冷静に思う。
 視線を向けると、彼は左腕で瞳を隠していた。
「なぜかな」
 答えを知りながらも、そう尋ねる。
 そもそも、昨日彼が自分と寝たのは流されたわけでもなく、強引に自分が組み伏せただけのことだ。もっとも抵抗は最初だけ。やがて諦めたのか大人しくなり、最後は快楽の声音すら聞かせてくれたが。
 自分の声にぴくりと身体を震わせて、ゆっくりと彼は腕を動かした。
 とたんに露わになる、琥珀の瞳。正直なところ、これだけ見事な琥珀を彼に逢うまで見たことがなかった。
 その宝玉にも似た瞳が、自分と身体を重ねた事実を心底後悔していることを告げている。
「あんたは、あいつじゃないから」
「顔も、声も、性格も同じでも、か」
 それはいつだったか自分に向かって彼が言った台詞だ。
 ――やっぱり、同じなんだな。顔も、声も、性格も。
 それを彼が喜んだのか、哀しんだのかはわからないけれど。
「それでも、あんたはあいつじゃない。全部一緒で、だからオレはきっと錯覚したかった。でも、違う」
 そしてもう一度、同じ言葉を繰り返した。
「あんたは、あいつじゃない」
「なら、忘れたまえ」
 自分ではない男のことなど、全て忘れてしまえばいい。この世界に、その男は存在しないのだから。
「無茶言うなよ」
 だが、彼は――エドワードはそう言って苦笑した。
「そんなこと、できるはずない。最高にむかついて、無能で、最低で、…だけどその分インパクトはある奴だから」
 その表情は、どこか優しい。無意識にぎり、と唇を噛んだ。こんな彼の表情を見るのは初めてのことではなく、エドワードの言う『あいつ』のことを話す時、たいてい浮かべている。それがひどく、忌々しい。
 顔も声も性格も同じその男に嫉妬しているのだ、と実感できるから尚更、我ながらなんとも滑稽な話だ。自分がそんな感情を持っているなど思いもしなかった。
 この子どもに逢って、初めて自分は自分という人間を知ったような気がする。独占欲が強いことも、嫉妬深いことも。性に関してもそうだ。淡泊な方だと自分では思っていたが、昨夜を思い出す限りそうでもなかったらしい。
 ――彼に、出逢いさえしなければ。
 そもそも、彼は初めてであった時から実に不思議で、そして不可思議な子どもだった。
 忘れもしない。初対面時はただ道をすれ違おうとしただけ。それなのに、彼は突然、歩みを止めた。
 そうして大きな瞳を見開いて、呆然と自分を見つめたのだ。吸い込まれそうなその大きな瞳が、自分だけを写していた。その理由がわからず、いぶかしむのは当然のことだろう。見たこともない、長髪の子どもが自分を凝視していたのだから。
 何か用かと尋ねると、彼はまた驚いたらしい表情を浮かべたが、やがて頭をふり、何でもないんだと言った。どこか嬉しそうで、けれど確かな愁いを帯びて。
 奇妙な子どもだと思った。それから、強い意志を感じるその瞳が好ましい、とも思った。たったそれだけのできごと。だが、それが全ての始まりだった。
 次に逢ったのも偶然だった。自分は軍服を着ていて、子どもは自分を見るなり、もしかしてあんた大佐かよ、と聞いた。それは事実だったので頷くと、やっぱり、と彼は笑った。それはまるで大輪の花が開くように、鮮やかな笑みだった。更に名を教えろと乞われ、告げるとまた笑った。今度は少しだけ儚く、寂しげに。
 そして呟いたのだ。やっぱり、と。その理由は、その後に明らかになった。
 自分はあの時に心を奪われたのだろうか。それとも、彼に初めて逢った時だろうか。まだ十六歳だか十七歳の子どもに、まんまと自分は惹かれてしまった。
 そのうちぽつりぽつり話すようになり、彼の名前がエドワードということを知った。それぞれ片方ずつ、義手と義足であることも知った。それから。
 …それから、ひどく奇妙なことを言い出すようになった。
 ――あんたは、きっと信じないだろうけどさ。
 そう笑って告げ、彼は夢物語に近い話を始めた。錬金術があるという、そんな異世界のおとぎ話。それが彼の現実だったと、そう言って。
 ――例えるなら、鏡の向こう側って感じかな。
 この世界と良く似た別世界をそう彼は表現した。
 正確には扉の奥の世界。それが彼のいた、彼の戻るべき世界。彼が、戻りたいと望んでいる世界なのだ、と。
 ちら、とベッド側の壁に存在している鏡へと視線を移す。微かにだが、自分が写っているっているのが見て取れるその鏡は、見慣れた変哲のない道具に過ぎない。
 だが、その世界はエドワードの言葉を信じるのなら確かに存在するのだろう。彼は妄想狂ではなく、虚言癖もない。頭も相当賢い様子で、時々自分の書物を真剣に読みふけり、投げかけてくる質問は実に鋭く、興味深かった。
 彼は言う。その世界に、自分に瓜二つの男がいたのだと。
 名前も。顔も声も性格も、全てが同一の人間。まさしく、もう一人の自分と言うべき人物の存在を知り、そして合点した。つまり彼は、自分にその男を見ていたのだ、と。
 年に似合わぬ大人びた表情を浮かばせて、彼は時々思い出話をする。それは大抵、最愛の弟とやらの話だったが、時折そちらの世界の『大佐』が話題に出ることもあった。
 傲慢で不遜で女たらしで、本当に同じだと、そんな風に笑って。
 他にも、『大佐』の面影は見え隠れする。例えば、エドワードは自分を名前で呼ばない。ロイ、とも、マスタング、とも。その代わり、大佐、と呼ぶ。その響きは、いかにも彼の舌に馴染んでいた。自分は彼を大抵は君、と呼ぶが、いつだったか彼の腕を眺めながら『鋼の義手か』と呟くと、少しだけ懐かしそうな表情を浮かべ、もう一度同じ言葉を繰り返して欲しいと強請られたことがある。かつて、鋼の、と呼ばれていたと知ったのはそれから少し後の話だ。
 そんな調子だから、エドワードが語ったことは無かったが、彼とその『大佐』が肉体関係を持っていたことを悟るのにも、そう時間はかからなかった。自分とおそらく同じ思考をしているのだろうその男ならば、彼を手に入れて当然だ。実際、鎌をかけてみたところ、存外あっさりとエドワードはその事実を認めた。
 その時浮かんだ感情を思い出し、苦笑した。ひどく可笑しい、と我ながら思う。
(まさか、自分を殺めたいと思う日が来るとはな)
 本当に、滑稽な話だ。もう一人の自分とやらに嫉妬して、心底殺めたいと思うなどとは。そしてその感情は、こうして彼の身体を手に入れても薄まらず、それどころがますます無限に広がっていく。どうしてこの世界にいないのかと、心底口惜しく思う程だ。…もっとも、おそらくあちら世界の自分も、今日という日を知れば、きっと同じように思うのだろう。―――彼を抱いた自分を殺めたい、と。
「どうしたんだよ、いきなり笑って」
 尋ねるエドワードに、何でもない、と答えると首を軽く傾げる。変な奴、とでも言いたげだ。
「ま、良いけどな。風呂借りるぜ」
 やがて長い金髪を無造作に掻き上げながら、いかにも当然、とばかりにそう告げた。その口調には遠慮は見えず、それが実に彼らしい。
 生意気な子どもだと思う。けれど、この子どもが欲しかった。彼が手にはいるというのなら、今まで自分が望んできた出世すらも手放しても良い程に。
彼の動きは随分と緩慢だ。だが、それも当然なのだろう。彼の身体は他人を知ってはいても反応は初で、そう回数は重ねていないのだと容易に想像がつく。だが、構わず自分は己の望み通りに彼を蹂躙したのだ。辛くて当然だった。
 それでもどうにか立ち上がろうとしている彼の腰を抱き、引き寄せる。そのまま、強い力で深く抱きしめた。
「……っ、馬鹿、離せよ……っ」
「断る」
 彼の言葉を一言で遮断して、その小さな背中に顔を埋めた。彼の体温は、自分よりもやや高い。
 唇を落とし、それからそのまま首筋へと舌を置き、改めてもう一度エドワードと強引に唇を重ねた。
 暴れようとするが、そもそもすでに体力自体が残されていないから、それはひどく弱い。押さえ込むことは実に容易だった。
「……っん、……は……ぁ……っ」
 唇を離すと睨み付けてきたが、その瞳は微かに濡れていた。昨日のように、もっと溶けそうなほど濡らしてやりたい衝動に駆られる程、それは美しい。
「……もう、あんたとは二度と寝ないってさっき言っただろーがっ!」
「私は承諾した記憶などないが」
 言って、もう一度無理矢理唇を重ね、舌を差し入れる。無駄だと知っているはずなのに、腕の中、彼が微かな抵抗を示すが無論無視した。
 鏡の世界へ帰ることを彼が望むというのなら、自分はこの世の鏡を全て叩き壊そう。どんな事をしてでも、自分は彼の願いを瓦解させる。
 もう返さない。渡さない。これは自分のものだ。自分が手に入れるべき子ども。他の誰にも、決して渡しはしない。
 どんなにエドワードがそれを望んでいるとしても、元の世界になど戻してやるものか。
 それは決意ではなく、確認だった。
 子どもはまだ、抵抗を示している。あまりにも無意味で、無力なその抵抗。
 くく、と笑いで喉が鳴った。ふと思い立ち、一瞬だけ先ほどと同じように鏡へと視線を送る。

 そこには、誰よりも殺したい顔をした男が、酷薄な表情で微笑みを浮かべていた。

                                   END

◇ ■ ◇

2004年の10・11月にイベントで配布したペーパーの小説。

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