いつか 鳥は 飛び立つ だろう
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病院から出てみると、すでに夕方になっていた。
夕日をぼんやりと見ていたが、やがて飽きて歩き出す。案外、ショックは受けないものなのだな、と思った。
けれど、それも当然なのだろう。自分はその言葉を随分前から覚悟していたように思う。
父母は共に死別した。二人とも、やはり両親と死別していた。つまりそもそも、早世の家系ということなのだろう。それでも自分宛にある程度の金銭を残してくれていたし、愛情も確かに注いでもらった。だから両親に対して、あまり不満はない。早すぎる別れだった、とは思うけれど、仕方のないことだと知っていた。
そう、仕方のないことだ。
両親が早世したことも、自分の寿命があまり残っていないことも。
医者の言葉を、冷静に聞ける自分がいた。家族がいない以上、医者も自分にその事実を告げるしかない。重々しい口調で医者は告げたが、涙を流すとか取り乱すほど、意外なことではなく、淡々と事実を受け止めるしかなかった。
はっきりと宣告されてみれば、確かに戸惑いに似た感覚はある。けれど、納得する方が大きかった。
(あと一年、か)
そう。自分は一年後には死ぬ。少なくとも、その可能性が高い、と医者は言った。
無論、多少の誤差はあるだろう。上手くいけばもうニ、三年は長く生きられるかもしれない。ただし、少なくとも病が治る、その可能性が皆無であることは確かだった。
死ぬのは確かに怖い。
――――――とても、怖い。
けれど、それはもう決定された未来だ。アルフォンスだけではなく、生きている人間は必ず死ぬ。それは決して逃れられない定めだ。
だからこそ、どうせ死ぬのなら、自分が生きたという証拠くらいは残したかった。ここに生きて、そして死んでいく自分という存在がいたのだという、そんな証拠を。
だから自分はロケットを作らずにはいられないのだろう。
ロケットを作るという行為はアルフォンスにとって生きるという言葉と同義語だ。自分の夢であり、生きた痕跡でもある。
何もせず、ただ一人で死ぬのは嫌だった。誰にも知られず、ひっそりと死ぬことだけは。それでは何のために生まれ、そして生きてきたのかわからない。それは本当に怖い。たまらなく、怖い。
それではまるで、自分は他人の夢に存在する住人のようだ。存在するけれど、生きていない。たゆたうだけの夢の住人。そんな存在になるのはごめんだった。
自分はどうやら、相当臆病な人間であったらしい、とアルフォンスは思い知り、自嘲の笑みを浮かべる。けれど、どうしようもないことだ。
死ぬのは怖い。けれど、死から自分は逃れられない。
それでも、今の自分は一人ではなかった。それは、確かな救いだった。
アパートに帰れば、きっとエドワードがいるはずだ。彼は毎日図書館に通っている。
相変わらずはかなげな印象の彼ではあるが、最近それでも良く笑うようになった。
(……もしも、ぼくが死んだら)
自分が死んだら。彼は哀しんでくれるだろうか。自分という人間を、時々でも良い。思い出してくれるだろうか。
そうだったら良いな、とアルフォンスは思う。
彼の記憶に少しでも残れたらいい。それも、優しい記憶として。
けれど、そう思う一方でエドワードにだけは決して自分の寿命のことを知られてはならないとも思う。彼には目標がある。その邪魔をしたくはなかった。
彼の望みは、彼のいた世界へ帰ることだ。この世界ではなく。
初めてその話を聞いた時は、なんて荒唐無稽な話をするひとなのだろう、と思った。人間によっては、妄想狂だと罵るかもしれない。けれどエドワードの表情は真剣だったし、とても嘘をついているようには思えなかった。
彼の言葉が真実なら、この世界の他にもう一つ、良く似た世界が存在するのだという。錬金術の発達した、そんな世界が。
それこそ、夢のような話だった。けれど、彼にしてみれば自分たちの方こそが、夢の中の住人にすぎないのだろう。彼の現実はここではなかった。彼の現実はその錬金術世界を指すのだから。
けれど、エドワードは理由があってこの世界へとやって来てしまった。だから今は元の世界に戻りたくて、必死で足掻いている。
彼が図書館に通うのも、かつてロケット工学を学んでいたのも、全てその目標の為だ。彼はひたすらに、『帰る』ことを望んでいる。きっと、彼の中でこの世界は。今、アルフォンスが生きているこの世界は夢の中にも等しいのだろう。或いは、狭い鳥籠の中でしかない。
だから彼は飛び立つ日を夢見ている。檻を抜け、自分の生きるべき世界に戻る日を。
そんな彼に、自分の病状のことなど話す必要はないし、話したいとも思わない。
彼は、何も知らなくて良い。
ただ、彼は彼であれば良い。そしてできれば、笑って欲しい。
エドワードと一緒に住むようになって、もう二ヶ月になる。今では、エドワードと一緒に住む前、自分がどんな風に暮らしていたのか思い出せもしない。
本来、エドワードはドイツに旅行のつもりで来ていたらしいが、今は完全に自分たちの住むアパートが彼の『家』だった。
無論、それはいつまでも、というわけにはいかないのだろう。けれど、少なくとも現状としてはそう呼ぶのが一番相応しいに違いない。
気がつけば、彼の大事な義足や義手も大量に持ち込まれ、当たり前に彼は自分と共に生活している。エドワードにしてみれば、アルフォンスが心配だから、ということになるのだろう。
アルフォンスにしてみればエドワードが自分と一緒に生活してくれるだけで嬉しいから、それがどんな理由でも構わない。彼が自分の側に存在し、笑いかける。その瞬間一つ一つが愛しく、幸福だと思えた。
もうすぐ、自分はこの世界からいなくなるだろう。けれど、だからこそ今自分はとても充実している。
ロケット作りを研究し、帰れば彼が自分を迎え入れ、笑いかけてくれる。
これ以上ないほど、至福の日々。
だからこそ、叶わない願いであると知りつつ、この時間が永遠であれば良いと思わずにはいられない。
もう一度自嘲の笑みを浮かべながら、アルフォンスは家路に急いだ。今日は自分が食事当番だ。彼の好きなシチューでも作ってやろう。きっと、彼は喜ぶはず。
子どものように無邪気に笑って、美味い、と言ってくれるだろう。その表情が今、無性に見たかった。
そう思い、やはり自分は医師の言葉がそれなりに衝撃だったらしい、と思い直した。
現実を受け入れるために、より幸福な現実とすり替えようとしている。随分と姑息だと思うが、こればかりは仕方ないだろう。
長生きはできない。それはわかっている。わかっているからこそ、現在の精一杯の幸福を求めている。つまり、それだけのことだ。
気がつけば、エドワードの存在はあまりにもアルフォンスにとって大きくなっていた。
彼にとって、自分は『最愛の弟に似た他人』でしかないと、そう知っていても、それでも。
それでも、彼はアルフォンスにとっての特別な存在だと、今なら言える。誰よりも、どんな人間よりも彼は確かに自分にとって特別だった。
(早く、帰ろう)
そう。だから、早く帰ろう。
彼の共に。そして明日から、またロケット制作に励もう。
時間は待ってくれないのだから、その限られた時間を以下に有意義に過ごすかを考えなくてはならない。残された時間は、あと僅かだ。
ひたすらにアルフォンスは早歩きで家路へと急ぐ。自分でも滑稽なほど、エドワードの笑顔が無性に見たかった。