本日、恋愛日和也。
こーいうのを、茫然自失って言うんだろうな、と思った。
まず最初に、その情景が信じられなかった。朝起きて、見えたのは見知らぬ天井だった。これは珍しいことでもない。旅を続けているのだから当然だ。ただ、それ以降の状況がいつもとあまりにも違っていた。
まず、身体が変だ。実に微妙な部分が痛むと言うか、違和感がある。更に半分だけ身を起こしたところ自分は全裸で、それだけならまだしも、自分の隣で見知った男が眠っていた。そして彼もたぶん、全裸だ。勇気がなくて毛布の全てを剥ぐ気にはなれないが、おそらく間違いないだろう。
そんな事実を認識し、しばらく呆然とした。そうして、ようやく思い浮かんだのが茫然自失、という単語だ。そんなことを思い浮かぶのは冷静になったのか、単に現実逃避なのか、それはエドワードにもわからない。
思わず頭を抱えた。どうしてこんなことになったのか、いっそ記憶がなければ良いのに、と思う。だが残念なことに記憶はあった。時間の経過と共に、それはより詳細で鮮明なものになる。気がつけば溜め息をついていた。
「慰める、ね」
ぼそりと呟き、けれど頷いてしまったのは自分だ、と思うとやはり溜め息しか出てこない。つまりこの状況は自業自得ということになる。
話は単純だ。昨日、エドワードは苛立っていた。ついでに言えば落ち込んでもいた。
探し物はみつからない。有力な情報もない。期待した情報も結局は偽物で、焦燥感が募るばかり。そのうえ久しぶりに寄ったイーストシティは長雨で関節が痛む。
それらはいつものこと、と言えばいつものことだが、旅の疲れも重なっていたのだろう。とにかく、精神的に疲れていたのだと思う。最近は安眠も遠く、眠いのに眠れないことが多かった。
そんな状況で、東方司令部に向かったのがたぶん、間違いだったのだろう。だが、東方司令部に用事があるからこそ、イーストシティに向かったわけで、そしてその用事が『上官の命令』だったのだから仕方がない。
――――結果、その上官が全裸で自分の傍らで眠ることになるとは、予想外にも程がある、とは思うが。
「……最悪だ」
本当に、最悪だ。よりによって自分はこの男と、ロイ・マスタングと一夜を共にしてしまった。
自己嫌悪に陥りつつ、今も眠り続ける男に視線を向ける。ロイの表情はエドワードの角度からは見えなかった。
昨日、執務室に呼ばれて向かうと、彼はいつものように書類に囲まれていた。そうして、自分の顔を見るなり、苛立っているね、と言った。図星を突かれると、必要以上に腹立たしいのは何故だろう。
うるさいと言うと、ロイは笑った。良く見る、この男ならではの、どこか皮肉そうな、自嘲も含んだ笑いだ。
――――落ち込んでもいるようだ。慰めて欲しいかね?
そして告げたのはそんな台詞。いつもなら、絶対に頷かなかった。けれど昨夜は苛立ちすぎて、慰められるモンなら慰めてみろ、と売り言葉に買い言葉でつい、言ってしまったのだ。今更後悔しても遅い。
その後、彼に言われるまま、癪な気持ちになりつつも夕食を共にして、そうして。
……そうして、ロイの家に向かった。その結果が現在だ。
(そりゃ、確かにあんなことの最中は苛立ってる暇も落ち込んでる暇もねーけど!)
そこまで考えて、今も苛立っていないことに気がついた。多少の自己嫌悪はあるが、落ち込んでいるわけでもない。
その程度には、昨夜の出来事はインパクトがあった、ということだろう。当たり前だ。初体験の連続だったのだから。更に言うなら疲労のおかげで今までになく熟睡した。
今まで、異性とつきあったことなどない。キスは家族への挨拶程度。だと言うのに、同性相手に昨日はキスから始まってフルコースだ。痛いとか苦しいと訴えたところで、ロイの動きが止むことはなかった。微笑んだり、キスを繰り返したり、ひどく甘い声で色々と囁いてみせたり。
その時のことを思い出し、思わず赤面して俯く。それからぶんぶんと頭を大きく左右に振った。
「忘れろ忘れろ忘れろオレっ!」
自分に言い聞かせるように半ば自棄気味に言うと、不意に聞き慣れた声が聞こえてきた。
「相変わらずつれないね、鋼の」
その声が聞こえた途端、身体が固まる。恐る恐る再び男へと視線を向けると、いつの間にか目を覚ましたらしい。ロイが自分を見上げていた。何が楽しいのか、口元には微笑を浮かべている。
「……起きたのかよ」
途端、自分でも不思議なほど声が小さくなった。
「おかげさまでね。普通、同じベッドでそこまでオーバーリアクションされたり盛大に独り言を言われれば、大抵の人間は起きると思うよ。朝から元気で何よりだ」
「元気じゃねぇ。体中痛ぇし違和感あるし変な感じだしここは大佐の家だしでこれ以上ないくらい絶不調だっての」
言うと、途端に表情を僅かに曇らせた。
「そんなに痛むかね?」
痛む。あんな場所にとんでもない物が出し入れ足されたのだから、それはもう、どんなに優しくされようがなんだろうが、痛む。が、しかし、そんな表情をされるとそう言えなくなった。
「別に、我慢できねぇほどじゃねぇけど」
実際、自分は痛みには強い方だ。だから耐えられない程ではない。ただ、違和感には慣れそうになかった。別に慣れる予定もないから、それは黙っておく。
「すまないね。なるべく痛みは与えないようにと思っていたんだが、君があまりにも可愛らしくて、つい」
「わあああっ、もう良いから黙れ!」
どうしてこの男は、そんなとんでもない台詞を平気で口にできるのだろうか。羞恥心というものがないのかもしれない。それとも、今までも色んな相手と、こんな風に朝を過ごしてきたから何とも思わないのだろうか。
(そうなんだろうな、きっと)
ロイは東部でも指折りの女たらしだ、と聞いている。実際、女性に人気がある様子だ。そして彼自身が女性好きであることも明らかだった。
(なのに、昨日はオレを『慰める』ためにあんなこと、したんだ)
そうとしか思えない。男の自分にあんな風に優しく、或いは情熱的に囁くなんて変だ。けれど、それが一夜限りの彼なりの親切心と思えば納得できるような気がした。
何故だろう。そう思った途端、心の片隅が軋むような錯覚に囚われる。
「そうだ、鋼の。言い忘れていたんだが」
「何だよ」
「おはよう」
言って、にっこり、と極上と思えるような笑顔を向けてくる。この笑顔に騙される女性が多いのも納得だ。今、自分さえも騙されかけた。
仕方なく小さな声で挨拶を返すと、ロイは立ち上がり、窓に向かうとカーテンを開いた。途端、光が漏れる。
「良い朝だ。久々に良く晴れそうだ」
ロイの言うとおり、今までずっと長雨だったが今日は違うらしい。焔の錬金術師は雨は不得手だろうから、彼としては実に喜ばしい天気なのだろう。
(本気で喜んでるよな、コレは)
だが、エドワードとしても雨よりも晴天の方が良い。その方が旅も楽だ。無論、ほどほどに晴れれば、の話だが。
「そうだな」
頷くと、ロイは笑顔のまま窓から戻り、ベッドの傍らに腰をかける。
「ところで、鋼の。絵画鑑賞、音楽鑑賞、映画鑑賞、それとも公園をゆっくりと散策する方が君の好みかな」
予想もしなかった言葉に、思わず口をぽかんと開けてロイを見つめる。ロイは相変わらず笑顔だった。
「他に何か希望があればそこでも良いんだが。あぁ、ただし図書館は駄目だ。君のことだから、私のことを忘れて本を読みふけるだろうからね」
「なんでんなこと聞くんだ?」
ぽかんとしたまま尋ねると、ロイは上機嫌のまま答える。
「今日は久々の休暇だからね。その上、この天気だ。絶好のデート日和だろう?」
「……デート?」
「そう、デートだ」
にこにこと笑顔で彼は肯定する。首を捻るしかなかった。
「誰と、誰が?」
「君と私が、に決まっているだろう?」
「…………は?」
デート。自分と、ロイが。
「大佐、その冗談はどうかと思うぜ?」
「冗談ではないとも。恋人同士がデートするのは当然だろう。君が初心なのは重々承知しているが、そこでどうして冗談と思うのか私には理解できないな」
いかにも当然、とばかりに告げられたが、エドワードにはどうしても理解できない。
「恋人って、誰と誰が?」
「該当する人間が、今この場に君と私以外にいると思うのかな、君は」
恋人、とぼんやりと反芻する。恋人。……恋人?
「鋼の。まさか私が、言葉通り慰めるためだけに、君を抱いたとは思ってないだろうね?」
「違うのかよ?」
答えると、盛大な溜め息が聞こえた。
「違うとも。昨夜、私は愛を君に数えきれぬほど囁いて、君も頷いてくれたと思うんだが、それは記憶違いなのかな。その割には随分しっかりと覚えているんだが」
「え」
言われてみれば、確かに行為の最中、色々と囁かれたし、それはそれは恥ずかしい言葉も多く含まれていた。好きだとか愛してるだとか、そんな単語を良く聞いた、気がする。そして自分も良くわからないまま、頷いた。……ような、気がしないでもない。ないが、しかし。
「思い出したようだね」
「……」
「忘れたと言うのなら、最初から告白し直しても良いんだが。そちらの方が鋼のの希望なのかな」
その言葉に、ぶんぶんと大きく首を振る。恥ずかしくてその言葉の数々を聞くことなどとてもできない。
「思、思い出した、から、言わなくて良いっての!」
赤面しつつ言うと、それは良かった、とまた笑みを見せてくる。
反則だ、と思った。それはつい、引き込まれてしまうような、そんな笑顔だったから。
先程とは違う意味で、なんだか自分は変だ。けれど何が変なのか、やはりわからない。
(けど、まぁ良いか)
まだ、わからなくても良いか、と思う。そう、今はまだ。
「では、どこに行こうか」
「オレ、別に別に行きたいとこなんかねぇけど」
行きたいところは特にない。けれど、と思う。今日は本当に、良い天気になりそうだ。
今日はきっと、絶好の恋愛日和。
END
