第3回 『知識鉱脈』


筆者は、狭義の数学小説には根本的な困難が二つあると考えている。

ひとつは、直観的に理解可能な数学的イマジネーションは、今までのところ、学問的には時代遅れの範疇でしかなく、書き手の側も読み手の側も、斬新かつ直観的なアイデアを継続的に開発し、受け入れていけるキャパシティがあるのだろうか、という不安。

もうひとつは、リアルとバーチャルのジレンマ。数学を使って世界を定式化しただけでは、いかに数学的に高度であろうとも、科学の道具にすぎず、小説にした場合は単なるハードSFに見えてしまう。かといって、現実を離れて数学を展開し、それを別の世界に写像しても、今度は単なる仮想空間に見えてしまう。数学が数学としての主体性を保ちながら、現実感のあるファンタジーを展開することは、非常に困難なのである。このジレンマをスマートに解決できる作家を、筆者はまだグレッグ・イーガン以外に知らない。イーガンの短編「ルミナス」は、リアルとバーチャルの絶妙な結合に成功した稀有な例だ。


今回とりあげるのは、1979年に日本で刊行された長編小説『知識鉱脈』(笹原雪彦 / 日刊工業新聞社)である。表紙や扉の表現では『SF知識鉱脈』となっており、まるでB級映画かなにかを連想してしまう。表紙絵もSFっぽく、巨大な灰色の脳髄が岩石のように点々とするどこかの惑星の風景を、落ち着いたトーンで表現している。しかしこれは、まったくのイメージイラストであり、内容を直接的に表現したものではない。

本書は、いわば情報学小説である。だが、純粋理論的な情報科学をアイデアの中核に据えており、かなりコアな数学小説とみることもできる。そして、前述のリアルとバーチャルのジレンマを荒削りながらも克服した、新しい時代の数学小説の先駆として評価されうる特異な小説である。

全体の骨格は擬似イベントあるいはシミュレーション的で、政治経済、社会的な描写が大半を占め、ビジネスマン向けのSF、とでも表現すべき趣きがある(版元の日刊工業新聞社の主な読者層にもよるものでもあろうか)。本書の刊行から20余年を経た現在の日本は、まさに節約の時代に突入している。すばらしく予言的にも思われるが、本書に描写されるのは直接的なエネルギー危機による節約の時代であって、環境問題と不景気による支出削減を主な動機とした現在の感覚とは微妙に食い違う感もある。当時の風潮を思い起こすに、オイルショックの記憶も新しく、真剣に憂慮され、共有化された近未来像であったといえるだろう。

【あらすじ】 深刻なエネルギー危機に陥った近未来。とりわけ厳しい立場に置かれている日本では、「エントロピー増大規制法」によってエネルギー(あるいはエクセルギー、ネゲントロピー)の無駄遣いが厳しく取り締まられるほどの状況に至っている。そんな時代のある日、主人公の大手新聞社科学部の女性記者は、彼女の担当したある新聞記事の内容が、忽然と文字通りこの世から消滅してしまったことに気づく。その怪事件をきっかけとして、エネルギー問題を一挙に解決する根本的な新エネルギー源が発見されることになる。その新エネルギー源とは、「情報」であった。情報エクセルギーの含まれるあらゆるテキストを電力に変換する「情報発電機」の開発により、日本と世界の状況は大きく変化する――。

本書の核をなすアイデアは、作中の池坊教授が述べる「情報とエネルギーの等価性」というアインシュタインばりの仮設である。また、熱力学のエントロピーと情報エントロピーの概念が同等だとするならば、エクセルギーの高い情報もエネルギーに変わる、という類推である。情報発電機の前身となった言語解析機は、テキスト情報の圧縮・展開演算を行う装置である。この装置により、エントロピーの低い良質なテキストを高圧縮率で圧縮・伸張すると、装置はどういうわけか半暴走状態のようになって、もとのテキストのポテンシャルにを電気エネルギーに変換すると同時にテキスト及びそれの持つ概念自体を世界から消滅させる。

言語情報圧縮の原理は、筆者の理解したところでは、モンテギュー文法の研究を基礎として特定の言語の(例えば日本語の)語彙体系から「言語ホログラム」を構築し、それをデータベースとして用いながら、多次元テンソル解析により(このあたりの技法は深く気にするところではないと思うが、強いていえばベクトルやテンソルの概念が普通のものではないかもしれない)、繰り返し圧縮演算を行う、というものである。

最初に圧縮されたテキストは、4230字の論説記事で、約 1/600 に圧縮され、また伸張された。一見すると、この数値には無理があるように思われる。例えば、有名なツール lha で圧縮した日本語の文章は通常 1/2 くらいにしかならない(14bit 文字コード体系を 16bit で格納していることを考えれば、なおわるい)。通常の文字レベルで可逆なエントロピー圧縮では、到底不可能な目標である。しかしながら、前述のとおり語彙及び文法法則の知識を用いること、膨大なデータベースそのものはデータ量に含まれないこと、また、等価な表現の差異にはこだわらずに概念を保存するだけと想像されることから、かなり事情が異なることがわかる。極端なことをいえば、古今の4230字程度の長さで完結した意味のある(「意味」はかなり厳しく評価される可能性あり)日本語の文章のすべてをインデックスで表すのに何ビット必要か、と考えれば 4230 x 14bit / 600 = 112 bit もあればむしろ充分すぎるくらいにも思えてくる。

余談だが、今年(2002年)の初頭に、米フロリダの ZeoSync というベンチャー会社が、あらゆるデータを 1/100 に可逆圧縮する、という驚異の圧縮技術を発表したことをおぼえていらっしゃるだろうか? その顛末はこの WiredZDNNInternet Watch の記事のような次第で現在フェードアウトしてしまったようなのだが、筆者は本書のことを思い出して少しワクワクしてしまった。

本書を数学小説として読む意義は、情報数学を扱っているから、というよりもむしろ、概念やテキストという仮想物を極めて論理的かつクールに扱っていることにあるかもしれない。例えば、この『知識鉱脈』をいうテキストを情報発電機にかけたらどうなるだろう――と考えてみればより明確になってくる。そのようなクールなメタ性・自己言及性が、数学小説の独特の立ち位置といえる。客観的に透徹した視座を持つ伝統的なSFの理解の枠組みからやや外れるとともに、現代文学に近いようでいてさほど人間を意識しない微妙な位置にいる。

もちろんカバーの「SF」の文字もダテではなく、本書の結末は、伝統的なSFとしてもたいへん美しいものである。

多くの人が、あまりにも突飛なアイデアのため真剣には読めず、トンデモ本的な読み、あるいはウルトラマン研究序説的読み方で楽しむことになるかもしれないけれども、それでもいいのかもしれない。シリアスな文体とはうらはらに、ちょっととぼけたユーモアや風刺が感じられるところもある。例えば、政府刊行物から文学作品まで、いろいろなテキストのエクセルギーが測定されるくだり、特に「毒文書」のあたりなど、思わず笑わされてしまう。

著者の「笹原雪彦」の著書はこの一冊だけで、カバーの略歴によると、昭和6年生まれ、京都大理学部物理学科卒、教科書編集者を経て総合商社に入りシンクタンク事業へ云々…とある。もう少し詳しく調べてみたところ、原子力及びコンピュータ関連の辞典の編者などとしても知られる、CRCソリューションズ理事・竹野萬雪(まゆき)の筆名だとわかった。昭和6年といえば、小松左京と同年である。

竹野が本名で行っている活動に、「未来年表」(近未来編 [2002-2006]遠未来編[2007-10の100乗])の作成がある。いかにもシンクタンク的な資料のようでもあり、リスト好きのSFファンのようでもあるこの年表は、ぜひご覧いただきたい。この年表の原型は『未来への選択』(竹野萬雪/深見輝明編 / 毎日新聞社 1983)所収「SF作家の描く未来年代記」であるが、現在は商工会議所系のポータルサイトにある『マルチメディア・インターネット事典』(デジタル・クリエイターズ連絡協議会編)のの一部として公開され、メンテされ続けている。なお、同事典の詳細な「未来年表」の項もあわせてご参照いただきたい。

最後に小ネタ。主人公の新聞記者・大瀧登紀子のモデルは大熊由紀子・朝日新聞論説委員(科学部出身)・阪大教授であるらしい


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カササギの巣 ―数学小説の世界―
Copyright © 2002 Akira Hamada (浜田玲)